漱石『門』
文化の館のこぶしの褐色の蕾が膨らみ始めて、
白い花弁を覗かせている。
こぶしは本格的な春を告げ知らせる花だと
聞いたことがある。
風はまだ冷たい。
この写真を撮っていると、
「まだ寒いですね」と、
利用者の方が声を掛けてくださった。
コートもセーターも身に付けずに
外を歩くには
まだ少しかかりそうである。
しかし、春の到来は、
やはり嬉しいものである。
何か良い事があったわけでもないのに
心が軽く華やいでいるのを覚える。
春が来ると、いつも
漱石の『門』の結末部分の描写を思い出す。
主人公「宗助」と妻「御米」との会話である。
御米は障子の硝子に映る麗らかな日影をすかして見て、
「本当に有難いわね。漸くのこと春になって」と言って、
晴れ晴れしい眉を張った。宗助は縁に出て
長く延びた爪を剪りながら、
「うん、然しまた又ぢき冬になるよ」と答えて、
下を向いたまま鋏を動かしていた。
春の到来を喜ぶ妻に
「ぢき冬になるよ」と答える夫。
漱石の胃は死ぬまで痛み続けて、
治ることがなかったろうと、
僕の胃も痛む春である。
『漱石全集』第九巻 『門』 岩波書店
