漱石の『こころ』について | さばとごはん

漱石の『こころ』について

こんにちは、寿康です。


毎日暑い日が続いています。

秋が待ちどうしくなるこのごろです。


さて、

今日は久しぶりに夏目漱石の 『こころ』 を読み返して見ました。


この作品は、大正3年に朝日新聞に連載されました。

漱石は自筆の広告文で


「人間のこころを研究する者はこの小説を読め」 と書いています。

「人間のこころを捕らえたもの」と言い切っています。


よほど自負があったのでしょう。


小説のあらすじは


(当時大学生であったその人(先生)が、友人のKと同じお嬢さんを

好きになり、先生は策略をもってKを出し抜き、お嬢さんと婚約してしまいます。

その数日後、Kは自らの命を絶ちます。

Kの自殺は、自分の裏切りにより、失恋した為と直感し、

驚愕した先生は、自分の未来に暗然とした闇がおおいかぶさるのを感じます。 )


漱石がとらまえた心とは、一言で言えば

我執(エゴイズム)だと思います。

人間の心は自分でコントロールできないものであり、そして「いざという間際」には

誰もが悪人に変わり得るのだと捕らえています。


漱石の人間観は、本分から引用すると次のようなものです。


「悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているのですか。

そんな鋳型に入れたような悪人は世の中にある筈がありませんよ。

平生はみんな善人なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に

変るんだから恐ろしいのです。」(本文より引用)


先生は、財産を叔父にだまし取られた過去があります。

しかし、今度は善人だと思っていた自分が、親友を裏切り

死に追いやったのです。


自分もあの叔父と同じ悪人ではないかという

絶望感におそわれます。


漱石の人間を見る目は、いざという間際に注がれています。

普通の人間が悪人に変わる恐ろしさを捕らえています。


『こころ』は人間のもつ我執の闇を描いています。


自分の心の闇を、照らす光がなければ

闇に沈みこんでいる

自分に気づく事ができません。


『こころ』は、私たちの我執の闇を、闇だと知らせてくれる

小説であると思います。


堅苦しい話になり、すみませんでした。


今日は

このへんで、失礼します。