1/30「京の冬の旅」③
北総門入口です。
中の敷地はとても広いです。
道は雪が少し残っていましたが、石畳は乾いて歩きやすかったです。
時代劇にも出てきそうな壁ですね。
壽聖院 特別公開 「京の冬の旅」初公開
石田三成の菩提寺
狩野永徳設計と伝わる庭園、三成自筆の書状
ほか寺宝展示
正に室町幕府時代→応仁の乱を経て→
→戦国時代突入やね〜
ひょうたんいけ
「瓢箪池」向かって左奥にある
妙心寺 壽聖院 初公開
石田三成が父・正継の菩提寺として創建。
広い境内
何処がどれかわからない?
左の石畳を奥に行き左曲がると壽聖院に行きます。
妙心寺 「玉鳳院」ぎょくほういん
〜妙心寺発祥の地 戦国武将の供養塔が並ぶ場所〜
46の塔頭寺院(たっちゅうじいん)をもつ妙心寺の、最古の塔頭寺院。
方丈には、妙心寺を創建した花園法皇の木像を祀る昭堂や玉座があり、狩野英真(安信)や
洞雲(とううん)(益信)の筆と伝わる「麒麟図」「竜図」などの水墨の障壁画が残る。
また開山堂「微笑庵」みしょうあん(重文)は、
開山・無相大師(関山慧玄)かんざんえげんを祀る
室町時代の唐様建築。
庭の奥には豊臣秀吉の子・鶴松の霊屋(おたまや)や、武田信玄・勝頼父子の供養塔、織田信長・信忠父子の供養塔が並んで建つ。
玉鳳院へ入ります
中は写せなかったです。
応仁の乱の時に矢を受けた後が残っているというので、写メしておきました。
向かって右下の白い点々が矢の後です。
右下の穴が矢の後です。🏹
応仁の乱(おうにんのらん)は、室町時代中期の応仁元年(1467年)に発生し、文明9年(1477年)までの約11年に及んで継続した内乱。
コチラからコピーさせていただきました。
⬇️
【全国の侍が東軍、西軍にわかれた原因は?
「人の世むなし(1467年)、応仁の乱」
そんな語呂合わせでこの年号を覚えた人もいるかもしれません。この出来事をきっかけに、日本は乱世である戦国時代へと突入します。
では、その『応仁の乱』のきっかけとは何なのでしょうか。
ひと言でいってしまえば、室町幕府の将軍家と管領家の後継者争いです。
室町幕府の最高権力者は将軍です。後醍醐天皇(ごだいごてんのう)の建武政府を倒し、武家政権である室町幕府を作った足利尊氏(あしかがたかうじ)が初代足利家の将軍です。応仁の乱のときは、その血脈を継ぐ8代将軍足利義政(あしかがよしまさ)でした。】
第2回目
「京の冬の旅」
は2月末に行きます🚌💨
何処へ行くかは御楽しみに🏯
つづく