僕が僕のすべて243 S | 櫻の妄想小説置き場【可塑的かそてき】

櫻の妄想小説置き場【可塑的かそてき】

【可塑的かそ・てき】思うように物の形をつくれること。 塑造できること。
主にラブイチャ系よりは切ないネガ多めです。
※このブログにある物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。

おかえりなさい~っていう女性の声が奥から聞こえて、

 

「今日はお友達と会う約束があるって言ってたじゃない?もう終わったの?」

「あぁうん、そいつ連れてきた」

 

そう言う潤さんの言葉に、今度は「えっ」と驚いた声が聞こえた。

そして、それと同時に俺の心臓もドクンと跳ねる。

あと、じわりと滲む冷や汗。

 

「どっか行ってもよかったんだけど色々と問題あるし、それならいっそのこと家の方が安心かなって勝手に俺が連れてきたんだ」

「あら、そうだった……の?」

 

色々と問題って、どういう意味だ?

潤さんの母親もその意味が分からなかったのだろうと思う。

言葉の後にクエッションマークが付いているのが分かったから。

 

「翔、こっち」

 

一旦部屋に入ったはずの潤さんが、再びひょこっと廊下に顔を出して俺に手招きする。

その方に、いそいそと近寄り部屋の中を覗くと、そこには潤さんと似てとても睫毛が長く、綺麗な顔立ちの女性が立っていた。

 

「急にお邪魔してすみません、佐倉井翔と申します」

 

そう言って深々と頭を下げる。

手土産も何もなくお邪魔してしまってすみませんという思いを込めて。

すると、

 

「どこかで…お会いしたことあったかしら?」

「え、」

「なんだかそのお顔に見覚えがあるような気がするのだけど…」

 

そう言う潤さんの母親に、思わずキョトンとしてしまった。

だって俺は初見だと思ってたけど…会ったことなんてあったっけ?

もしかして俺が潤さんの家に住んでた時に来たことあるとか?

いや…ねぇ……よな。

そんな記憶さっぱりない。

だとしたら、どこでだ!?

会ったことあるのに忘れてるとか、失礼の極みじゃないか。

思い出せ俺!

ここは絶対に思い出せ!

何が何でも思い出せ!

そう必死に脳みそをフル回転していると、

 

「母さん、ほら、母さんの好きな木曜のドラマ」

 

潤さんがそう口を挟む。

ん?

木曜のドラマ?って……。

 

「え、木曜のドラマって『いつか君に逢える日まで私は泣かない』のこと?」

「そう、そのドラマの」

 

潤さんがそう言うと、

 

「理央!!!」

「そう、理央」

 

母親はその名前を叫び、パチクリさせた瞳で俺のことを見つめた。

そう。

『いつか君に逢えるその日まで私は泣かない』というのは、まさに俺が今出演している木曜に放送しているドラマで、理央というのはそのドラマの中で俺のやってる役名だ。

 

「どうして理央がここに」

 

ようやく俺がその理央だと認識したらしく、潤さんの母親がへなへなとダイニングテーブルの椅子に腰を下ろした。

よくある、テレビの中だけの存在だった人が現実に出現すると起こりやすい症状である。

 

「理央は役名で、こいつの名前は”佐倉井翔”ね」

「佐倉井くん…ごめんなさいね、おばさん吃驚しちゃって」

「いえっ、ドラマ楽しんでくださっているみたいで嬉しいです」

「もうっ、毎週ヤキモキしながら観てるのよっ。理央が肝心なことを咲ちゃんに言わないものだからっ」

 

やや興奮気味にそう言って、それから「ふふふっ」と柔らかく笑った顔が…潤さんとすげぇよく似てる。

 

「ねぇ?この後二人はどうなるのかしら?」

「それはちょっとまだ何とも…」

「そうよねぇ、言えないわよねぇ」

「はい、すみません」

 

あんなに緊張していたのに不思議だな。

潤さんの母親が、ふわふわした人で拍子抜け。

潤さんが頑なに大丈夫だって言ってた理由も、今ならなんだか理解できる気がする。

 

「母さん、昼メシ食った?」

「ううん、まだよ」

「じゃあ俺が何か作るよ」

「ありがとう、嬉しいわ」

「翔も、好きなところに座ってて」

「あ、うん」

 

それから少しの間、潤さんの母親と俺は初対面にも関わらず他愛ない話をしながら潤さんの手料理ができるのを待っていた。

その時間は、ちっとも苦なんかじゃなかった。