でもまぁそんなことをこの状況で考えるのは無理な話で。
なんてたって彼のライブが開催されるまでに残された時間は僅か。
それまでにクリアしなければならない課題は、まだ山のようにある。
とりあえずギリギリまでは寝る時間もとことん削ってやりきるしかない…、というかやりきることが当然で。
それに、これまで俺はいつだってそうして自分の仕事に誇りをもってやり切ってきた。
「潤くん、もっと他の人に仕事をふって少しでも寝なきゃ駄目だよ」
そんなにのの忠告も今の俺にとっちゃ耳が痛いだけだ。
そんなことは痛いほど分かってるんだよ。
スタッフのこと、チームのこと、これまでに培ってきた絆だってもちろんあるし信頼もしてる。
とか言いながら最終的に任せきれないのはどこまでも分厚い意地と、結局は頭のどこかで信頼しきれていないという証拠で。
だからこそ、そんなにのの言葉が鬱陶しいと思うに違いない。
***
それからようやくライブ初日の幕が開けられ、安堵するのも束の間。
俺らにとってはここがゴールなわけでもなくて、結局折り返し地点に立っただけで。
幸いなことに、ライブは特に何事もなく大盛況のうちに幕を閉じることができたけれど、その後の反省会で出るわ出るわ…難題点に課題点。
どんなにリハを繰り返しやってきたって、たった一回の本番には適わないってことを思い知らされる瞬間でもあって。
設置されたライトの色や向きや高さ、音のズレや、アリーナからステージに上がる階段の位置、ラストに打ち上げる花火の火薬の量についても、それはそれは綿密な微調整に追われる。
それは日に日に少なくなっていくとはいえ、ステージが変わればまた同じことの繰り返しで。
結局ゆっくり眠る時間を確保できるのは、当分先になりそうだ。
そんな忙しい最中に吸うたばこの美味いこと。
だけど口からふぅと吐き出した白い煙を見ていて、ふと思い出した。
そういえば大埜さん…引退する意思をこれから事務所に伝えると言っていたけれど、あれってどうなってんだろう。
結局あの日、
"未来を歩く横には、おまえにいて欲しい"
そう言われて。
だけど大埜さんは俺の気持ちを確認することもなく、
「まぁこんな話電話じゃなんだし、またゆっくり時間がとれる時に話そう」
そして今に至るわけで。
お互いそんなこと考える時間もないぐらいに仕事に追われていたから仕方ないとしても、俺はあの人にどう返事をすればいいのかを考えることすら避けていた。
そう、ライブのこと以外、何も考えたくなかった。
じゃなきゃ押しつぶされそうで。
ただでさえ仕事でのプレッシャーがずっしりと肩にのしかかっていて、それでいて新しいレールの上を歩き始めた翔のことはどこか気がかりだし、それに加えて大埜さんの引退の影響がこの会社へ与える損失は計り知れない。
まぁそんなことで崩れるような、生温い仕事はこれまでしてきているつもりなんてないけれど、実際そういう問題に直面してしまうのは致し方ないことだとも思うし。
"新しい未来をおまえと生きていきたいと思ってる"
あぁ…参ったな。
あれだけ考えないようにひた隠しにしてきたのに、一度浮上したそれはあっという間に俺の頭の中を支配してしまう。
それほどまでにあの人の存在は大きい。
大き過ぎ…だよな。
それに俺には、どうにかしてあの人の引退を引き止めなければならない任務だってあると思ってる。
それは神から俺に与えられた使命で。
つまり、俺はこの世界にとっての唯一無二の救世主になり得るということで。
なんて。
やっぱり、少しおこがましかったかな。
「潤っ!」
「潤くんっ!!!」
そんな声がどこか遠くで聞こえるけど…目が…どうしたって開けられなくて。
真っ暗な世界に閉じ込められたまま、意識は途絶えた。