翔の話を切り出されて内心、胸のドキドキが抑えきれない気がする。
いつの間にか俺の知らない間に、あいつはいつの間にか大埜さんに見初められ、そして大埜さんの未発表曲にラップ詞をつけるなんてことが現実に起こっていた。
そして翔は与えられた短かすぎる猶予の間にきちんとそれを形にして、それを大人の前で堂々と歌い切り、つまり任務を完遂した。
だけどその後の情報は俺の方までは入ってきていなかったから、実際のところはどうなったんだろうとただ気を揉んでいたのだ。
「あぁ、あれからどうなってるんです?」
とはいえ、ここは冷静になれと自分に言い聞かせながら会話のボールを大埜さんへ転がし返す。
それを彼はいとも簡単に受け取り、
「なんか、えらくうちの事務所があいつのこと気に入ったみたいで」
そう言った。
「そうですか」
大埜さんの言葉にホッとする。
いくらライブで忙しいからとはいえ、あいつに実家に戻れなんて半強制的に家から追い出してしまって。
ここでこの話までコケてしまったとしたらあいつはどうなってしまうんだろう…、なんて考えれば考えるほど心配でどうにかなりそうだった。
「これから先、うちの事務所のレッスンに通ってもらうことになると思う」
「レッスン?」
「まぁ…、ラップのことはもちろんなんだけど、それよりもあいつの容姿と……あと雰囲気っつーの?なんか一見チャラチャラして見えんのに、中身は超がつくぐらい馬鹿真面目だろ?そういうギャップがプロデューサーにめちゃくちゃヒットしたみてぇなんだ」
そして大埜さんはまるで思い出し笑いをするみたいにして、ふにゃんと微笑んだ。
きっとその報告を受けているときのプロデューサーの顔でも思い浮かべているのだろう。
だけど、ということは…、翔はこれからどうなるのだろうか。
「大埜さんの新曲のために書いた翔のラップ詞はどうなるんです?」
「それはなぁ、今回はちょっと…駄目かもしんねぇな」
「…そうですか」
口から零れた言葉は同じものであっても、最初と最後とでは全く別物なニュアンスになってしまった。
そうか、ボツ…か。
あいつこれ聞いたらガッカリするだろうな。
あんなに目の下に立派なクマをこしらえながらも、そして飯も食わずにゲッソリとしながらも、云わば全身全霊を賭けて書いたようなリリックだったろうに。
だけど確かに、この世界はそんなに甘くはないということでもある。
「えっ!?」
ってか、待てよ。
あっさりと聞き流すところだったじゃないか。
確か今、プロデューサーにヒットってそう言ったよな?
そして容姿がなんとかって…、それってまさか。
「まさか翔を…大埜さんの事務所からデビューさせようとしてるんじゃ」
「ん?多分そのつもりだと思うぞ」
いやいやいや、あいつは今それどころじゃないんだ。
ようやく親元に戻って、これから大学を卒業するという人生において重大な任務が残っている。
これで浪人…なんてことになってみろ、それこそ親御さんに何て言われるか。
そして衝突を繰り返してまた…、家を飛び出すなんて様子が手に取るように分かる。
やっと少しずつ前に進み始めたばかりだというのに、このままじゃ元の木阿弥じゃないか。
「ところで潤」
大埜さんが銚子を器に傾けて、並々になったものに口をつけて啜る。
特に明日が休みなわけでもないのに、こんなに飲ませてしまっていいのだろうか。
もしかすると後でマネージャーさんから苦情がくるかもしれない、なんて焦りまで生まれてくる。
「なんですか?」
「なんですか?じゃねぇ、おまえキャンプの時に話したこと…忘れてんじゃねぇだろうな」
キャンプの時に話したこと…、多分それはこの人に好きだと告白されたことだろう。
あの時俺は、答えを求められ少し時間をくれとそう答えた。
「忘れてなどいません。ただ…」
「ただ?」
「分からないんです。なんで大埜さんともあろう人が俺のことなんかをって…」
「人を好きになるのに理由がいんのか?」
「そういうわけじゃないのですが…、」
「それとも…、他に好きなやつでもいるとか?」
「………いえ、」
なんで俺なんだ。
その理由でも教えてくれれば、自分はそんなやつじゃないと否定することだってできるじゃないか。
だけどこの人の言う通り、確かに人を好きになるのに理由なんかいらないというのも身に染みて分かってる。
そもそも翔だってなんで俺のことを好きなのか分からないし、俺だってなんであんなガキにこんなにも心を奪われているのか分からない。
だけど好きなんだ。
どうしようもなく。
だから困っているんだ。
「もう少しだけ待ってください…、」
「……俺だって結構余裕ないんだけどな…、」
「本当にすみません」
すぐにでも了承できたならどんなに楽か。
それか俺が翔みたいに何も知らない子供だったら…なんて。
そんなこと考えるだけ無駄なのに。