佐倉井さんの引越し。
その日が楽しみで楽しみで楽しみすぎて。
分かるかな。
ふとした瞬間にも湧き上がる嬉しさっていうの。
俺って、無意識に笑っちゃってるみたいで、
「まーたニヤけてる」
周りから疎ましい目で見られてる。
今日も学校では冬真から、事務所に入るなりにのにもそう言われて。
まだ一緒に暮らせてもいないのに、俺ってどんだけ幸せボケしてんだって自分でも自分が心配になってる。
でもさぁ、仕方ないとも思うわけ。
だって、今日が水曜で佐倉井さんの引越しが土曜でしょ?
だから、えーと…あと三日くらい?
それまでは無理に会いたいとか我儘言わないようにこれでも気を使ってる。
佐倉井さんも退職するにあたって仕事の引継ぎとか大変そうだし、それに加えて引越しの準備だろ。
今まで以上に忙しいだろうし無理言えないじゃん。
それでも最近じゃこまめに連絡をくれるようになったんだよあの人。
それに関してはかなり感動してて。
だから前みたいに寂しくて自暴自棄になったり、不安でたまらなくなったりすることもなくなった。
たとえ夜中に電話で起こされたって、睡眠不足になるどころか佐倉井さんの声を聞いたあとのほうが目覚めがいいのはきっと気のせいではないはず。
佐倉井さんの引越しが終われば、当たり前のように一緒にいられるだろうし。
それまでは我慢。
うん、色々と我慢。
あーでも。
ちょっとぐらいは会いたいな。
んで、キス…ぐらいしたいかも。
そんなことを考えてしまったら、
「はぁ…、」
おっきなため息の一つや二つでるものだろ。
それなのに、
「ニヤニヤしてたと思ったら、今度はため息?」
スマホばっかり眺めてたはずのにのが呆れた顔して俺を見てた。
「ため息なんかついてねーし」
「いやいやいや、今思いっきしついてたでしょうが。ほら、これが証拠」
反論する俺に対抗して、いつの間に撮ったのか動画なんか見せつけてきて。
「はあ?勝手に盗撮すんなよっ!」
「これ、佐倉井翔に送りつけてやりましょうか?潤くんをほったらかすなって」
「いいーーーーーからっ、消せ!今すぐ消せ!」
「えーーーー」
そんな俺らを見ていたまぁは、
「ほんっと二人とも仲いいね。兄弟みたい」
なんて。
怒るわけでもなく、呆れるわけでもなく。
ただただニコニコしててやっぱりマジで母親みてぇ。
いや、ここまできたら俺の本当の母親はまぁじゃないかとまで思えてきた。
冗談だけど。
****
それから、引越しまで待ち遠しい日々を過ごしていた矢先。
夜の11時頃に鳴るスマホ。
相手は佐倉井さん。
「もしもし?」
「あ、潤?」
「どうしたの?」
だってこんな時間に連絡くれるなんて珍しいじゃん。
いつだって電話がかかってくんのは夜中の二時とか三時とかなのに。
「実は…さぁ…、ちょっと話があって…」
佐倉井さんが悩ましいような声を出すから、何か悪いことでも起きたのかと背筋がぞっとした。
いやだっておかしいじゃん。
もしかして引越しの予定の日仕事休めなくなったとか…、もしかして引越しできなくなったとか…。
それとも俺と一緒に住めなくなったとか…、まさか俺と別れる…とか言わないよな????
「どうしたの?」
「いや…、あのさ…、すげぇ言いにくいんだけどさ…、」
「…やだよ、」
「え」
「絶対やだ!」
「やだって…なに…が?」
「俺っ、翔と別れたくない!」
「はい?」
いやだってさ。
絶対に、荷造りが終わんねぇから手伝ってっていうような声色じゃなかったじゃん。
佐倉井さんの家のクローゼットの前で、ダンボールの箱に衣類を詰め込みながらブツブツと文句を言ってる俺の横で、佐倉井さんはクククと笑いを堪えてる。
「もういい加減笑うのやめて、手動かせよ」
「や、だってさ、いきなし翔と別れたくないっ!ってっ、」
はははっと吹き出す佐倉井さんをガンって一発蹴ってやれば、あっさり態勢を崩して床の上に転がった。
「ひっでぇ!」
「ひどいのはどっちだ」
いってーなんて大袈裟な声を出す佐倉井さんなんか無視して、ダンボールをガムテで閉じていたら、
「ごめん、ほんとは超絶嬉しかった」
なんて背後から抱きしめられて。
苦手だけど。
背後。
すげぇ苦手なんだけど。
この人相手だと、それよりも嬉しい気持ちのが上回るんだから不思議だ。