MATCH156 J | 櫻の妄想小説置き場【可塑的かそてき】

櫻の妄想小説置き場【可塑的かそてき】

【可塑的かそ・てき】思うように物の形をつくれること。 塑造できること。
主にラブイチャ系よりは切ないネガ多めです。
※このブログにある物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。

佐倉井さんがきちんと手続きをしてくれていたおかげで予定通り昼には退院できることになった。

マツザカ先生は病院の外まで見送ってくれて俺はすげぇ嬉しかったけど…、でも佐倉井さんはどこか不満そう。

 

「一応俺が東京で勤務していた病院に紹介状を書いてある。すげぇいい腕の医師がいるからあんま心配してないけど…」

 

そう言うと、マツザカ先生は一枚のカードを俺の前に差し出した。

 

「なんか困ったことがあったらいつでも連絡しろ。なんでも相談に乗ってやる」

「ありがと」

 

その名刺には英語表記の他にきちんと漢字でも松坂正臣って書いてある。

そして空白のスペースに携帯電話の番号がボールペンで書き足されているのが分かった。

俺がカードに手を伸ばした途端、すごい勢いで佐倉井さんがカードを奪い取って、

 

「これは俺が預かっとく」

 

ってすぐにポケットの中へと仕舞う。

そんな佐倉井さんに松坂先生は苦笑しながらも、

 

「大変だな。ま、頑張れ」

 

って俺に耳打ちをした。

 

「潤!行くぞ、タクシー待たせてんだから」

 

佐倉井さんは、どうもと松坂先生に頭を下げるとさっさと俺らに背を向けて歩き出してしまった。

 

「ほら、置いてかれるぞ」

 

ずかずかと歩いて行く佐倉井さんの背中を、ニヤけながら眺める松坂先生になんだか熱いものが込み上げてきて。

俺は先生の手をとって強く握った。

 

「本当にありがと」

「礼は要らない。俺は医者なんだから患者を救うことが使命なんだからな」

「そうかもしれないけど…ありがと」

 

だって俺。

ここで松坂先生に出会ってなかったら。

きっとずっと死ぬまで、沢山の人を傷つけて犠牲にして、そして。

本当に好きな人とはいつまでたっても笑いあえなかったと思う。

幸せになんかなれないって決めつけて、いつだって諦めてたと思う。

 

「たまには連絡してこいよ。幸せ便り」

「うん」

「ほら、早く行かねーとまた彼氏が怒るぞ」

「だから、彼氏じゃないってば」

「彼氏でもないのに、あんなに怒るか?」

「何に対して怒ってんのか分からないじゃん」

「どう見てもおまえにちょっかい出してる俺にだろ」

「ちょっかい出してたの?」

「なわけねぇじゃん。じゃ、またな潤」

「ふふ、またね、松坂先生」

 

ちょうど別れの挨拶を交わし終えた時に、向こうから何してんだよ!って最上級にむくれた佐倉井さんの声が響いて、思わず松坂先生と見合わせて笑った。

 

「はーい!」

 

佐倉井さんのあとを追いかける足取りがすこぶる軽いのも、空がとてつもなく青いのも、風が心地いいのも、甘い空気に酔いしれそうなのも。

全部…全部。

それはやっぱり松坂先生が俺に未来を与えてくれたから。

こんなにも明るくて、おっきな未来。

 

待ってくれていたタクシーの後部座席に乗り込むと、佐倉井さんもその横に乗り込んできて、

 

「なんて言われた?」

 

なんて俺のことをチラリと見た。

 

「たまには連絡しろって」

「はあ?なんのために」

「幸せ便りだって」

「んなのする必要なし」

 

佐倉井さんはむすっとしたまま腕を組んで窓の外を向いてしまった。

なぁ、なんで。

なんでそんなに怒ってんの。

それじゃまるで…俺のこと好きみたいじゃん。

俺勘違いしちゃうよ。

いいの?

本当に結婚しない?

俺と…地道に頑張んの?

なぁ、佐倉井さん。

もう、聞いてもいいよな?

 

そう思ったのに。

 

「佐倉井さん」

「…ん」

「俺さ…、」

「待って」

「え」

「もう少し待って」

 

あっさり拒否されて、これ以上話をすることは不可能だった。

 

やっぱり困ってたりして…俺のこと。

勘違いすんなって思ったかな。

そんな特別な意味なんてなくて、やっぱりあのキスはただの願掛けだったのかな。

 

だとしたら俺は…どうすりゃいいの。

あんたに気持ちを伝えることすら許されねぇの?

 

「…っ、、、」

 

その時少しだけ…息が弾んで、

胸が痛くなった気がした。