佐倉井さんが人前に立つと、誰しもが彼へと視線を向け、そして佐倉井さんが発する言葉には誰しもが耳を傾ける。
彼には人を惹き付ける、何か特別な魅力があるんだと思う。
それは風貌も去ることながら、彼の選ぶ言葉のセンスだったり立ち振る舞いだったり。
俺に分かるのはそんなごくごく普通の範囲だけど、でもだからこそ彼がモテる理由も分かるんだ。
そう、嫌というほどに。
きっと佐倉井さんに好意を寄せてる人は、表に出ていない人まで合わせればわんさかいるんだろうなって。
そう、前に思った…まるで王子みたいな存在だなって。
そんな人に、笑いかけられ、触れられ、抱きしめられ。
たまに強い独占欲まで見せつけられて。
それから肌と肌を合わせて、その牙を突き立てられたともなれば。
一体何人の女性が悲観することか。
そっと喉元に手をやる。
だけど、佐倉井さんから噛み付かれた跡はもう残っちゃいない。
あれだけ強く歯を立てられたのに、それは呆気なく刹那に消えてしまった。
だとしたら、何をもって俺と佐倉井さんが熱く蕩け合ったことを証明できるのだろう。
最初から、何も残さないようにという彼の策略通りだったのかもしれない。
それか、俺が長い長い夢でも見ていたのか。
だとすると、それは、決して実ることのない悲恋の物語。
「僕は、今急成長を続けているアプリ制作業界へ携わらせていただいてから、幸いなことに沢山の経験を積むことができました。そして今回、このマッチングアプリの制作を手掛けることになった僕の心は、今まで以上の希望と期待に満ちていました」
そう話す佐倉井さんの、前を見据える視線は力強くて。
とてもついさっき、一つの恋を終わらせた人の表情には見えなかった。
それどころか俺には、重たかった荷物をやっと肩から降ろすことができた、という安堵の表情にも見えて、
「なんだよ…自分だけやけにさっぱりしちゃってさ…」
自分だけがどんどん置き去りにされてるような気分になった。
ちっぽけで、ガキで、世間知らずで。
うまく立ち回れていたと思っていたのに全然通用なんかしちゃいなくて。
もっと大人にならなきゃあの人には通用しないってことを、遠回しに言われてるみたいで。
悔しいけど今の俺には、彼の言葉に耳を傾けることしかできない。
「自分の手掛けたアプリが、たくさんの人と人とを結び付け、その出会いの結末がたとえ最終的に結婚…とまではいかなくても…きっとその出会いがユーザーの人生を鮮やかに、色濃くしてくれるはずだと、そう信じて制作に邁進して参りました。無事にリリースすることのできたアプリを今度は運営していかなければならないわけですが、その中でも気が付いたことがあります。それは…このアプリの恩恵を一番受けているのは自分なんじゃないかということです」
佐倉井さんのこのアプリに対する、志しとか信念とかを、俺はもしかすると今初めて聞くことができたのかもしれない。
そうだ。
俺と佐倉井さんは、互いの話なんて何もしてこなかった。
だから俺の知らない佐倉井さんがまだまだ沢山いて。
俺はきっとその度に感動する。
「アプリ制作に携わらせて頂いた甲斐あって、僕は本当にいろんな方と出会わせてもらいました。新しくチームを組んだ我が社の人間をはじめ、協力していただいた様々な業種の方々。そして今僕の目の前にいらっしゃる撮影チームの方々。その他にも本当にたくさんの方に出会うことができた。そしてこうして共に仕事をすることができた。きっとこの出会いは僕の人生において、宝物になると確信しています」
そう言った最後の最後で、佐倉井さんが俺の顔を見たような気がして…思わず胸がドキンと跳ねた。
「だからこのアプリで、もっとたくさんの方に幸せな気持ちを抱いていただきたい。そのために今は…写真集のモデルとして起用させてもらった松元くんと二ノ瀬くんの力を借りて、そしてもっともっとたくさんの方の目にとめていただいて。そして今の僕のように人生の中で光り輝くような、そんな出会いをしていただきたいと願っています」
俺とにのの力を…借りて。
俺らも佐倉井さんの夢に…、少しは貢献できているのかな。
そうだとしたら嬉しいな。
「みなさん僕と出会ってくださって本当にありがとうございます。そして今後とも、何卒よろしくお願いいたします」
佐倉井さんが深々と頭を下げると、彼は一気に拍手の中へと包まれていった。
その姿がすげぇ…眩しかった。