しばらく、後ろ髪ひかれる思いで松元の降りていった方角を見つめていた。
そんな俺を見兼ねた雅紀が、
「翔様…そろそろ出発致しますが…」
心配そうに俺を見る。
「ああ…すまない、行ってくれ」
そう言うと、ゆっくりと走り出す車。
いつしか車窓から、松元の姿はすっかり見えなくなった。
もしあの時、雅紀からの連絡がなかったとしたら。
俺はあいつをどうしていたんだろう。
胸の中がジンジンと熱い。
もどかしい感情が沸き立って居てもたってもいられなくなる。
あのまま無理矢理にでも松元を連れ去っていたとしたら…今頃、世界はどう見えていたんだろうか。
菊知が倒れたと聞かされてんのに、考えることは呆れるぐらい松元のことばかり。
聞かされていた病院に到着し病室を尋ねると、ベッドに横たわる菊知の姿が見えた。
そばに寄りその寝顔を見つめていたところに、遅れて雅紀も入ってきた。
「今ナースステーションで伺ったのですが、菊知様は疲れで倒れたのではないかと」
「ああ…、話してる声が聞こえてた。つか、こいつそんなに仕事詰め込んでたのか?」
「そのようですね…、ご両親の話ですと最近は夜もあまり寝ていらっしゃらなかったようで」
「はあ?なんでそんなに…」
ったく、大人なんだから、自分でそこらへん加減しろっつーの。
ここでおまえに倒れられたら困るやつがいっぱいること分かってんじゃねぇのかよ。
若気の至りなのか、それとも若さゆえの無謀な挑戦なのか。
それとも、自分は大丈夫という傲りなのか。
こういうところが職人として、まだまだ未熟なところだな。
「無事も確認できましたし時間も時間でございますから、今夜はこれで失礼しましょうか」
「そうだな」
「では、わたくしは車を回してきますので」
「頼む」
雅紀が退室して俺もその後を追おうとした時、うっすらと菊知の瞳が開き、擦れた声が聞こえて立ち止まる。
「お、気がついた?」
「………、」
「菊知?」
「…佐倉井さ…ん?」
ぼおっとした表情で俺を見ている。
もしかすると、ここが病院だってことも分かっちゃいないのかもしれない。
「オーバーワークで倒れたんだと。んで、ここは病院」
「え、俺…、」
「なんか…悪かったな。おまえのことなんかお構いなしに一方的に仕事依頼してたから」
次からは節度を守るから、そう言った途端菊知が勢いよく起き上がって俺の上着を握った。
「今のままで大丈夫だからっ」
「は?でも現にこうして…」
「全然問題ない!だから俺への依頼は今まで通り入れてくれていいからっ」
「んなこと言われても…」
「ここ1週間ぐらい…俺、確かに無理してたかもしんないけど…でもそれももう終わったから、まじで大丈夫だからっ」
「んなムキにならなくても」
あまりの必死さに思わず吹き出すと、菊知がハッと照れたようにうなじを掻いた。
それから、俺の身体にコツンと頭を預けて、
それから、
「…あれ?」
菊知はそう言って、鼻をすんっと鳴らす。
「ん?」
「………いや、なんでもない」
「なんだよ気持ち悪いな」
倒れたばかりなのに起き上がるから、目眩でもしたのだろうか。
あれだけ威勢がよかったのに、急にしゅんとして。
「とにかく体は資本なんだ。自己管理はしっかりしてくれ」
そう、菊知の肩をポンポンと叩いて部屋を出ようとすると、また俺の名前を呼ぶから、今度はなに?と返事をすれば、
「……サンキュ」
そう言って笑った。
その笑顔がさっき松元が最後に俺に見せた笑顔と重なって、胸がずくりとして。
痛くて。
苦しくて。
手までジンジン痺れてきて。
つか、なんだこれ。
こんな気持ち味わったことねぇよ。
なんで俺は今…涙が出そうになってんだよ。
「これを機に、ゆっくり休めよ」
「…はい」
これが菊知じゃなかったら、これが松元だったらなんて。
ぐちゃぐちゃだ。
だってそんなこと言ったってどうしようもない。
”大海は松元のことをそれはそれは大切にしています”
分かってる。
分かってるけど。
泣いてた。
睫毛を濡らして。
抱きしめた身体は冷たく小刻みに震え、その瞳は絶望に暮れていた。
そんな姿を見てしまったら。
俺がそうしてしまうことで更に松元を苦しめていると分かりながら。
もう…、自分の感情を抑える術などなかった。