affection12 | 櫻の妄想小説置き場【可塑的かそてき】

櫻の妄想小説置き場【可塑的かそてき】

【可塑的かそ・てき】思うように物の形をつくれること。 塑造できること。
主にラブイチャ系よりは切ないネガ多めです。
※このブログにある物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。

「翔様っ、時間がございません急いでください!」
「えっ、ちょっ!」
 
早く早く!そう急かされて。
だけどここで松元と別れたら、また会えなくなってしまうようなそんな気がして。
 
「おいっ松元っ!」
「はっ、はい!?」
「きみっ、まだ帰んないよな?」
「えっと…まぁその予定です」
「よっし!」
 
思わず拳を握る俺に、松元は「えっ」なんて困惑したような声を出す。
 
「翔様!」
 
うだうだしている俺に雅紀が追い打ちをかける。
あーー、もう!分かってるってば!
分かってるけど、このままはいさようならなんてできっかよ。

「きみに大事な話があるんだ。式が終わるまで絶対に帰らないで。式の後もう一度俺と会ってくれ」
 
松元の両手を取り、そして目を見つめながら要件を伝えるところでタイムリミット。
潔くその手を離してから俺は駆け足で雅紀の元へと向かった。
 
俺の言葉に松元は何も言わなかったけれど…だけど。
きっと待っていてくれる、そう信じるしかなかった。
 
 
***
 
 
ステージ横に待機しながら会場の様子を探る。
騒然としていた客席は、式のアナウンスが流れると途端に静けさを取り戻した。
前にも横にも、このコンクールで入賞した選ばれし者だけが整列していて。
俺も今この場にいるということは…そういうことなのだ。
こういうシチュエーションは幾度となく経験してきていて、だからといって緊張していないわけではない。
やはりいつだって、もしかしたら再優秀賞がとれるんじゃないか…そんな淡い期待を胸に抱いてここに立つ。
だが今回は、目障りなコイツがいる。
なんでこんなに背中を丸めてふにゃんとしたようなやつに、俺が劣っているというのか。
爪を隠した鷹。
それが、こいつを表現するのに最もふさわしい言葉だと思う。
見た目がこうだからと…決して甘くみてはいけないのだ。
 
しばらくすると合図を受け、先頭から次々とステージへ上がっていった。
自分もその後に続きステージに並べられたイスに座る。
ぐるりと観覧席を見渡したが暗くて何も見えない。
この中に松元はいてくれているのだろうか。
そんなことを頭の片隅で考えていた。
 
しばらく主催者側の役員の話が延々と続き、詰まらない話を右耳から左耳へと流していく。
つか早くしてくれよ。
俺は大事な人を待たせてるんだ。
 
「さあ、それではいよいよ!受賞者の発表です!」
 
長くて待ちきれない思いだった。
いよいよだ。
出来れば一番最後に名前が呼ばれることを祈りながら、でもそんなことがあるはずがないなんてどこか諦めにも似た気持ちも同時に抱いてる。
同じ壇上には大海がいて、彼はあのバラード第1を完璧に演奏した。
鳥肌が立つというよりも、自分がこの世界で生きていていいのかなんて恐怖に襲われるようなピアノ。
俺はその時点でこいつに負けてる。
 
覚悟は決まっていた。
それなのに。
 
「第2位。大海智さん」
 
思わず、は?って声が出た。
え?っていう大海の声重なった。
 
そー…だよな。
だって俺の名前…まだ呼ばれてないし。
それなのに、なぜ大海の名前が先に…。
 
俺の目の前でトロフィーを受け取った大海が、不服そうな表情のまま席へと戻る。
いや、分かるよ。
俺だって未だにこの状況が理解できずにいる。
だって大海が2位?
だとしたら…俺は?
名前を呼ばれるまでは信じられないなんて気持ちで。
逆に俺ここに座ってていいのか?なんて。
このまま呼ばれずに終わったりしてとかさ。
 
「栄えある第1位です。佐倉井翔さん」
 
それなのに、名前を呼ばれてもどこか夢のようで。
これって…、まじ…なのか?
 
もしかすると母が死んでから初めてじゃないだろうか。
俺が栄えあるコンクールで、1番でかいトロフィーをこうして受け取るなんてこと。
今まで、どんだけ努力しても、どんだけ色んなものを犠牲にしても。
どうあがいたって獲れなかったのに。
 
そんな俺が今称えられている理由は一つしかない。
それは、松元の調律したピアノで気持ちよく弾けたから。
母が調律してくれてた時みたいに、なんも考えず、なんの足枷もなく、思うように弾けたから。
 
きっとそうだ。
それしかない。
今までの俺に足りなかったもの、必要なもの。
 
それは母の調律したピアノ。
そして。
松元の調律したピアノ。
 
やっぱり俺はあいつが欲しい。
あいつの調律したピアノが弾きたい。
ずっと弾いていたい。
そのピアノとずっと生きていたい。
 
式が終わったらすぐに話をして、何がなんでもうちの調律師になってもらう。
早くもう一度あいつに会わなければ。
さっき握った白くて柔らかくしなやかなあの手を。
もう一度この手に掴むんだ。
 
そう決心した矢先だった。
人生はそう甘くはないらしい。
 
「佐倉井さんおめでとうございます!」
「今のお気持ちは!」
「今回の優勝の秘訣は!」
 
あっという間に俺は記者にとり囲まれていた。
写真を撮られ、マイクやボイスレコーダーを傾けられ、圧倒されてその輪から逃れることが出来ない。
なに?優勝するとこーなんの?
それとも俺が1位なことが物珍しいのか?
 
これじゃいつまでたっても松元のもとに行けやしない。
そうこうしているうちにも、他のピアニストの目に止まってしまうかもしれないじゃないか。
焦る気持ちを抱えながら質問に答えていると、遠い向こうに松元の姿が見えた気がした。
 
松元!
そう叫びたいのをぐっと堪え、差し障りのない応答を繰り返す。
 
頼む松元…頼むからもう少し。
これが終わるまで待っててくれ。
そう祈りにも似たような気持ちで松元の姿を眺めていたが、
 
「え…、」
 
松元は大海に肩を抱かれそのまま俺の視界から消えていった。