こんなにあっけなく?
あの怒った顔も、笑った顔も、肉まんを頬張る顔も見られなくなるなんて。
好きだと伝えることも。
もう二度と出来ない。
それから勉強なんか全く手につかなくなって、イライラして周りと衝突することが増えた。
夜は塾に行くふりをして、あらかじめカバンの中に詰めておいた服に着替えクラブへ出入りして。
そこでは手当たり次第に女を誘って遊んで。
俺の何がいいのかなんてさっぱり分からなかったけれど、とにかくモテて。
しばらくすると誘わなくても、女の方から寄ってくるようになった。
何が悪い?
だってどうせ人はいつか死ぬ。
それなら、一日一日楽しく過ごした方がいいじゃん。
それなのに。
埋めていたはずの日々は、結局空っぽで。
何も残ってなどいなくて。
空洞しかない心の中を次はどう埋めようかなんて考えあぐねていた俺の元に、智くんがやってきた。
「翔くん、ここにいたのか」
「よくここが分かったね」
気持ちのいい秋風が吹く校舎の屋上。
智くんは俺の隣にすとんと座り込み、空を見上た。
そして、今日は天気がいいなぁなんてふにゃりと笑う。
「今日はじゃなくて、今日もでしょ」
「そうだっけ?空なんか久しぶりに見たからなぁ」
「勉強ばっかしてるからだよ」
「勉強は裏切らねぇからなぁ」
それから少しの間、特に会話もせず互いに空だけを見上げていたけれど、そのうち智くんがポツリポツリと言葉を紡ぎ始めた。
「翔くん俺…パン職人になろうと思う」
「は?パン?」
学校で、いや…全国的にトップクラスの成績のあなたがパン職人?
「俺、高校卒業したらパン屋に就職するわ」
「なに…言ってんの?んなことできるわけねぇじゃん!」
「なんで?」
「なんでって…、そんこと誰も許してくれないよ」
「許してもらうもなにも、俺の人生じゃん。なんで文句言われなきゃならねぇの?」
何言ってんだこの人。
頭いいのに、頭おかしいのか?
皆がこの人は絶対に有名な大学に進学すると当たり前に思っているのに。
それなのに進学せずに、パン屋に就職だなんて許すわけがない。
「なんで?」
「ん?」
空を見上げていた智くんは、俺の声に首を傾げた。
「なんであなたはそんなに強いの?」
それに比べて俺は、なんでこんなに弱いのだろう。
「あんま、自分をいじめたくないからな。それに比べて翔くんはドMだよな」
ふふふっと笑う智くんの声が、なんだかやけに心地良くて。
そして温かい掌が俺の背中に触れて、俺は何故だかその温もりにホッとした。
人はいつか死ぬけど。
だけど、今を確かに生きてて。
そして、生かされてて。
そのことに気が付いたらとめどない涙が頬を伝った。
俺は…完全に自分を見失っていた。
だけど、それに気づかせてくれる友人を…持ってた。
それからは夜遊びは止めて受験のことだけを考えることにした。
死に物狂いでやった甲斐もあり、無事に第一位志望の大学に合格することも出来た。
大学に入ってからも黙々と勉強を続けた。
俺には就きたい仕事がある。
大学を卒業するまでのたった四年間。
その間に出来ることは全てやっておきたかった。
その間、女が寄ってくるのが迷惑で。
智くんにはよく愚痴を零していて。
「翔くんはモテるからなぁ」
智くんはそう言いながらも、いつも俺の相談に乗ってくれた。
ある日たまたま飼うことになったリスに、智くんは『彼女』という名前をつけた。
しつこい女には『彼女が家で待っている』そう言えと言った。
「嘘じゃない、本当のことだ」
だから何も躊躇することはないと智くんは言った。
俺は彼の言う通りにした。
結果は智くんの言う通りだった。
ただ単に拒否するより、彼女がいるていで拒否した方が効果は絶大だった。
あとは夢へと向かって着々とステージを積み重ねるだけだった。
その最中だったんだ。
松元に出会ったのは。
「翔くん、自分の気持ちには正直になんねぇと、病気になっちまうぞ?」
「自分の気持ち?」
「好きなんだろ?」
智くんはそれ以上何も言わなかった。
俺はコップの中に入っていたワインを全部飲み干した。
そのせいなのかなんなのか、やけに胸がギュッと締めつけられて息苦しかった。