優しい雨45 | 櫻の妄想小説置き場【可塑的かそてき】

櫻の妄想小説置き場【可塑的かそてき】

【可塑的かそ・てき】思うように物の形をつくれること。 塑造できること。
主にラブイチャ系よりは切ないネガ多めです。
※このブログにある物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。

「ねぇ、相澤さん起きて!腹減ったよ、ほらメシ!メシ!」
 
んー。

うっさいなぁ。

まだ目覚ましも鳴ってないっていうのに。
つかくすぐったいから纏わりつくなってば。

 
「テーブルの上にパンあっただろ、あれ食っとけよ」
「じゃコーヒーいれて」
「ん?もうコーヒーできてんじゃん」
「えっ、うそお」
「だってコーヒーのいいにおいするじゃん…」
 
ん?
んん?
 
え!!!!???
 
慌てて飛び起きれば、ハッハって鼻息の荒い本物の犬が一匹俺の顔をベロンベロン舐めていた。
なんだ……夢かよ。
てか俺の顔そんな美味くないと思うんだけど。
顔洗う前なのにすでにベッチャベチャ。
 
「あ、雅紀起きた?おはよう」
 
朝ごはん出来てるから顔洗っておいでよってキッチンからそんな声がする。
言われるままに顔を洗って歯を磨いて、それから部屋に戻るとすげぇ美味そうな飯が並んでた。
 
「雅紀んちって男の一人暮らしのわりには冷蔵庫潤ってるんだね」
 
そりゃぁね。

だってかずに美味い飯食わせなくちゃなんないし。
今は家出中でいないけどいつ帰ってくるかも分からないからそれだけはちゃんとしとこうって毎日自炊はするようにしてたから。


澪は小さく手を合わせて「いただきます」と言いながらパンを小さくちぎって口の中に放り込んだ。
俺も澪の作ってくれた朝ごはんを食った。
うん、美味い。
でもここにかずが足りてないだけで何食っても味気ない。

「ねぇ、シェリって随分と雅紀に懐いちゃったね」
「シェリ?」
 
そう言われてイスの下に視線を落とすとちょこんて丸まってる。
そして俺を愛しそうに見上げるうるうるおめめと目が合うんだよなぁ。
やっぱこいつなんかかずに似てる。
そっか、こいつシェリって名前だったっけ?
 

「そう、シェリ。フランス語で”愛される者”って意味なんだよ」

「へぇ」

 

あぁ俺って…ペットに元カノの名前つけるとか、ほんとどうしようもない奴だったな。
そんな他愛のない話をしながら朝食を食べ終えて少しすると、

「シェリがいるから一旦家に帰るね」

そう言って家を出て行った。


あぁ。

あの犬がかずだったらなぁ。

あいつがいなくなってしまった穴がとてつもなくでかすぎて。

ほんと毎日ため息しか出ないよ。


***


朝の満員電車をなんとかやり過ごしてようやく辿り着いた会社のエントランス。
カバンの中の社員証をゴソゴソと探してたら
 

「よっ!」

急に後ろから肩を大きく叩かれたもんだから、せっかく見つけた社員証を落としそうになった。
一言文句でも言ってやろうと振り返れば、


「翔ちゃん!」
「おはよ雅紀。元気そうじゃん」
 
そこには翔ちゃんが立ってた。

 
佐倉井翔。

俺の1個上の先輩。
1個上なのにあっという間に昇進して今では敏腕ネゴシエーターだ。
 
「いつ日本に帰ってきたの!」
「3日前?ま、またすぐ戻るけどな」
 
1年前からロスに赴任しているこの人は、たとえ1つ歳をとったぐらいじゃ見た目全然変わんない。
それどころか更に若くなってるんじゃないか疑惑。

頭がきれることも去ることながら、その容姿だって飛びぬけて目立つのも全然変わってないし。
八の字眉にくっきり二重の大きな目。

スーツを纏ったその容姿は、女子社員の憧れの的の的のその的。

だけどあまりにも隙がなさすぎて誰も近づけない。
多分翔ちゃんも自ら近づくなオーラをバンバン出してるように見える。

「そこの店でコーヒーおごるからこいよ」
「うん!」
「朝のミーティングまでには間に合わせよう」
「遅れても翔ちゃんがちょこっと何か言ってくれれば誰も何も言えないよ」
「ははっ、俺にそんな力ねーよ」
 

翔ちゃんは本当に楽しそうに豪快に笑う。
それがまた清々しい。
 

カフェの自動ドアをくぐり抜けてから、真っ先にカウンターへと進む。
ただコーヒーを注文しているだけなのに、どうしてこの人はこんなに絵になるんだろう。
レジの女の子も目がハートになってるように見えるよ。
一緒にいる俺も鼻が高い。

ってか、この人に弱点とかあんのかな。
じーって眺めてみたけど、そのなで肩ぐらいしか見当たらない。
でも翔ちゃん自体はそんなこと弱点なんて思ってないのかも。
 

「なに人のこと見てニヤニヤしてんだよ」
 

翔ちゃんが不服そうな顔でコーヒーを手渡してきた。

それから空いてるソファに腰を降ろして、ようやく一息ついた。

「相変わらずカッコイイなって見惚れてたんだよ」
「嘘つけ」

ほら、そう笑いながらコーヒー飲んでる姿もカッコイイじゃん。
俺の自慢の先輩なんだからさ、翔ちゃんは。


「ところでさぁ、俺こないだたまたま社食で飯食ってる時女子社員の話聞いちゃったんだけどさ」
「ん?」
「おまえ、瀧川と付き合ってんの?」
「えっ」
 
突然の翔ちゃんからのがさ入れに、慌てて付き合ってないと答えた。

すると、


「あの女には気を付けた方がいいぞ。横山って知ってるか?営業の。あいつがやらかして降格した途端婚約破棄しておまえに乗り換えたらしい」

まぁこれはあくまでも噂だけどなって翔ちゃんがニヤリと口角を上げる。

「澪はそんなことする子じゃないし……」
 

いくら翔ちゃんでもそれは酷くない?

だって澪が横山さんと別れたのは、横山さんがストーカーだからだし。
え、てか普通ストーカーって別れた後に分かるもんじゃないの?
横山さんがストーカーになったのって、澪と付き合ってる頃から?

あれ?

どうだったっけ?


あからさまに動揺する俺を見て、翔ちゃんもちょっと言い過ぎたかなって呟いてる。

「ごめんごめん。ま、ああいう女はすぐ既成事実作ろうとするから避妊だけはしっかりやっとけよ」
「ちょっ、そんなことしないしっ。そもそもそんな関係じゃないし」
「え、そーなの?俺はてっきりおまえが瀧川にハメられてるんだとばかり思ってたんだけど」
「だから付き合ってないし、澪はそんな子じゃないってば!」
「ふぅん、…まぁ、なら心配ないか」

急に変なこと言い出すからコーヒーの味すらよく分かんなくなっちゃった。
だけど、俺のことこうやって心配して世話をやいてくるところは入社当時からいつまでたっても変わんない。
確かに今までだって翔ちゃんが言ってたことはいつだって正しかったし、理にかなってた。
そこへんで虫眼鏡ん中覗いてる占い師なんかより、翔ちゃんから「こうしろ」って言われたことを実行した方が上手くいく気がする。

「そういえば翔ちゃん前に言ってた飲み屋のマスター?とはその後どーなってんの?」

さっきから責められてばっかだったからこっちからもちょっと攻めてみようと思って、話題をシフトしてみたら、

「マスター?あぁ、潤のこと?」

潤、そうだった。

確かにそんな名前だった。
 

翔ちゃんがまだ日本にいる頃だたっけなぁ。

一緒に飲みに行った時に、翔ちゃんにしてはめずらしくグダグダに酔っぱらって話してくれたんだ。
 

どうしても、好きでしょうがない奴がいるって。
 

俺にそんな話するなんて珍しいなって、あん時は嬉しく思ってたけど。

その時にはもうロス行きが決まってたんだって後で知った。

「会ってないよ」
「会ってないってあれから1度も」
「うん、そう」

好きで好きでしょうがないって言ってたのに…離れちゃったらそんなもんなのかなぁ。

翔ちゃんは、

「そろそろ帰るぞ。ミーティングに遅れちまう」

すっかり飲み終えてしまったらしいコーヒーのカップをトレイごと持ち上げた。