☆重文「上時国家」(公開終了)
☆豪農となった土地の有力者・平家の落ち人の家を公開☆
場所・ 石川県輪島市町野町南時国13−4
電話・ 0768−32−0171
竣工・ 天保2年(1831)〜安政4年(1857) 江戸末期
構造・ 木造平屋建て 茅葺 入り母屋造り
営業・ 9〜17時(15分前までに入場)3〜12月のみ営業
(月)(金)休み GW中は営業 12月6日から3月14日閉館
料金・ 550円
最終訪問・ 2023.04 GW
*石川県・文化財 *国・重要文化財
*残念ながら採算の関係で今後の公開終了
能登半島の奥能登、輪島市の曽々木集落の平家の落ち人の家です
時国家の先祖は、平大納言時忠の息子・時国を祖とする豪邸で、中世の絶大な勢力が偲ばれます
平家の定紋揚羽蝶を配し格式を誇ります
上時国家は、中世の奥能登において強大な勢力を持った旧家です
近世には奥能登にあった幕府領の大庄屋を務めました
上時国家は、天保2年(1831)頃、現在地に屋敷を移し、主屋を始めとする建物は安政4年(1857)頃までに完成したとみられます
西面して建つ主屋は、桁行29mの大規模な建築で、入り母屋造り、茅葺の周囲に桟瓦の庇を周らせた形式です
主屋の北方には、土蔵造り、平屋建ての米蔵、北西には2階建ての納屋があります
「下時国家」外観 非公開
上時国家には能登における村落支配の拠点となった特権的な家の住宅で、主屋が大型のものが多い北陸でも最大級の大きさです
手の込んだ造りの室内の造作や座敷飾りとともに土間周りに豪壮な梁組を見せ、江戸末期の民家の1つの到達点を示す遺構として重要です
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この上時国家のことを知ったのは、何がきっかけだったのかは忘れましたが、なぜか私の能登の資料の中に情報があったので行ってみました
今回は、ここが1番能登の奥まで来た場所で、ここからUターンをして羽咋市方面へ行きました
上時国家の前には下時国家もありますが、こちらは庭園が国の名勝のようですが非公開でした(採算の関係で2020年で公開終了)
Pもあるので、昔は公開されていたようですが、それとも紅葉の時期だけとか期間限定なのか
なので、こちらは分家なのかどうもお隣で親戚のようですね
上時国家は春から秋に公開で、今回は公開している時期に行けたので玄関前までは行きました
本当は中に入りたかったですが、もう帰る時間がどんどん迫っており、見ている時間がありませんでした(休みは普通の土日2日のみ)
能登は遠く帰る時間がかかるので、全く時間の余裕のない旅でしたので、やはり今度は2泊はしないとかな
外観だけでも見れましたが、ここは集落の高台にあり周りを見下ろす感じでいかにも庄屋の家ですね
家の前も参道みたいなのがあり、昔は門番などもいたのでしょうね
家は大きな茅葺の古民家で、玄関からは欄間が見えました
ネットで内部を見てみると加賀文化のような派手な感じで、天井は折り上げ格天井で寺院のような天井画もありますね
国の重文でもありますし、平家に興味のある方、江戸時代の古民家が好きな方、北陸の豪農に興味がある方などに良いですね
それにしても現代でもかなり奥にあるこの平家の家
源氏の本拠地が太平洋側の鎌倉だとすると、本当に反対側の遠い場所ですよね
現代でもかなり遠いので、当時なんか外国でしょうね
こんな奥地まで逃げてこないといけなかった平家の方たち、大変だったでしょうね
ここは冬は豪雪でしょうし、気候もつらかったと思います
いかにも奥地で落ち人が来そうな場所だと思いました
平家・古民家・歴史好きの方にもおススメです♪
*令和6年能登半島地震の影響で建物には被害があるかも知れません