城下町の鉄砲町にある山形城の鎮守の1200年の神社

場所・ 山形県山形市鉄砲町1−3−5

創建・ 天平年間(729〜749)

竣工・ 本殿・寛永7年(1630)再建
    拝殿・宝永3年(1707)再建 

構造・ 木造 石造 明神系鳥居 神明系鳥居も

祭神・ 品陀別命 息長帯姫命 比米大神
 
社務所・ あり 御朱印あり

最終訪問・ 2021.09

 



 

山形市の南部の鉄砲町にあります銃
創建は、
1200年前の天平年間(729〜749)で、当時の陸奥鎮守府将軍だった大野東人が勧請したと伝えられますおじいちゃん

 

駐車場より社頭

 

前九年の役の際には、源頼義、義家父子も当社を訪れ戦勝を祈願し、ここを「陸奥の苦ぬき」となぞらえるものとして見事勝利を収めましたキラキラ

 

社頭



凱旋で当地に戻った折に、康平6年(1063)には神威に感謝し社殿を造営しました乙女のトキメキ

 

別の入口 神明系鳥居


 

その後は山形城の歴代藩主に崇敬庇護され、延文元年(1356)には期波兼頼(最上家の祖)が社殿を再建すると、以後歴代最上家が祈願所としました(時を越えて武将もここへ来たんですね)拍手

 

境内 



慶長5年(1600)の出羽の関ヶ原と言われた長谷堂城の戦いの後には、最上義光(最上家11代、初代山形藩主)が
戦勝祈願を行い、見事領内から上杉氏を追い出すことができたことから、社殿の造営と寄進が行われました乙女のトキメキ

(上杉家側の越後人からすると複雑)

 

境内 大きなご神木が見守る 


 

慶長8年(1622)に最上家が改易になると、新たに入封した島居忠恒が庇護し寛永7年(1630)には社殿の造営が行われましたキラキラ

 

大きなご神木も さすが古社



その後も八幡宮は、
山形城の鎮守社として、保科正之、堀田正亮、水野忠精など歴代の城主、また、慶安元年(1648)以降は幕府より418石の朱印状が発給され社運も隆盛しましたピンクハート

 

猿の腰掛


 

古くから神仏習合していましたが、明治初期の神仏分離により六木甚観音などの仏教色が廃され、県社となりました乙女のトキメキ
境内には
鐘楼があり、神仏混合の名残も見られますウインク

別の入口側の参道


現在の
本殿は、島居忠恒が造営した寛永7年(1639)のものが残りますルンルン
拝殿は宝永3年(1707)に再建されたものです乙女のトキメキ

                  *

 

境内のタイルレトロな水場



ここは山形市城下町の第一神社、朝一でやって来ましたが、すでに地元の方がお参りに来ていましたお願い
うっそうとした静かな社域で、公園のように広いですウインク
ここで1200年もの間、山形の地を見守り、歴代の歴史上の人物がここにお参りに来たのですねラブ

 

境内 鐘楼が残る



やはり山形城から近いだけに、お城の鎮守様だったのですね乙女のトキメキ

地名も鉄砲町で、いかにも城下町らしいですし、八幡様らしいですよねニコニコ

 

拝殿 江戸時代のもの 1639年再建より

 

ここも東北の源家ゆかりの神社ですねびっくり
境内には大木が多く、歴史を感じることができますクリスマスツリー

本殿 江戸時代のもの 1707年再建


ここで現代に設置された2つの石のおまじないのようなものも社頭にあり、お願いしてみましたラブ

 

 


 

こちらも来られた際には、やってみるといいかも知れませんピンクハート
ご朱印ブログの方のブログでここを知ったので、ご朱印もあると思いますキラキラ

 

社務所 



八幡宮・古社・歴史好きの方にもオススメです♪