★松島観光の寺院見学のハイライトで豪華な襖絵が★
場所・ 宮城県宮城郡松島町松島字町内91
電話・ 022−354−2023
創建・ 9世紀初頭
竣工・ 本堂 慶長4年(1609)
構造・ 木造
開館・ 9〜17時くらいか 700円
最終訪問・ 2022.04
*国宝 *庫裏内・本堂・上段の間は撮影禁止
宮城県南部の三陸沿岸、景勝地の松島の山側にある禅寺です
正式名称を「松島青龍山 瑞巌円福禅寺」といい、臨済宗妙心寺派に属する禅宗寺院です
9世紀初頭、慈覚大師円仁によって開創された天台宗延福寺がその前身であると伝わります
参道の表通りとの角にはこんな素敵な建物が
13世紀中ごろ、鎌倉幕府執権・北条時頼公が法身性西禅師を開山として臨済宗建長寺派への改宗を行い、寺名も円福寺と改めました
しかし、戦国時代を経て次第に衰退し、16世紀末には臨済宗妙心寺派に属します
参道 表通りは観光客でにぎわう
慶長9年(1604)、仙台藩祖・伊達政宗公は円福寺の復興を開始し、慶長13年(1608)には寺名を「松島青龍山瑞巌寺円福寺」と改めました
寺の施設の一部
翌慶長14年(1609)、5年の歳月を経て工事が完了し、元和6年(1620)から元和8年(1622)にかけては障壁画の制作が行われています
法身窟 ここから不思議な声が聞こえたとか
伊達家の菩提寺として領内一の格式を誇った瑞巌寺ですが、明治維新後は廃仏毀釈運動の影響により、荒廃の憂き目を見ることになります
受付
そのような状況の中、明治9年(1876)、明治天皇東北巡幸に際し瑞巌寺が行在所となり、内装金が下賜されて復興の契機となりました
平成30年(2018)には10年に及んだ「平成の大修理」が完了し、政宗公が心血を注いで完成させた創建当初の姿が現在によみがえりました
桃山時代の代表的建造物です
・参道
慶長14年(1609)に伊達政宗によって建立された総門をくぐると、視界いっぱいに広がる杉林
参道は杉木立の中を進み、まっすぐに黒門まで続きます
この参道の東側には洞窟遺跡群があり、無数の洞窟に墓標が並んでいます
・法身窟
鎌倉時代半ば、宋から帰朝した法身禅師と執権・北条時頼が出会ったと伝わる洞窟
2基の石碑の原画は塩竃出身の画家・小池曲江の製作
声が聞こえたという伝説の残る不思議な洞窟です
・庫裏 国宝
禅宗寺院で主として台所の役割を担う建物です
正面13・8m、奥行き23・6m、大屋根の上に入り母屋造りの煙出しを乗せています
正面上部の複雑に組み上げられた梁と束、妻飾の豪壮な唐草彫刻が漆喰上に設けられているのが特徴です
・本堂 国宝 *撮影禁止で画像なし
本堂は南東に面し、南西端に御成玄関が、南東端に庫裏に続く廊下が接続します
正面38m、入り母屋造りの本瓦葺きで、10の部屋があります
慶長14年(1609)完成
中門と本堂 左に桜も 左は御成門
桧・杉・欅は熊野から運ばれ、京都・根来の大工衆が技を競いました
各室は部屋の使用目的にふさわしいテーマに沿って描かれた絵画や彫刻で装飾されており、現在は昭和60年(1985)から制作が開始された精巧な復元模写が建て込まれています
・上段の間 *撮影禁止で画像なし
他の部屋よりも畳面が一段高くなる、藩主おなりの間です
黒漆柩の床の間・火頭窓・違い棚を備えた書院で、障壁画の梅竹は藩主の資質として理想とされる「高潔や清操」を表しています
上部に掲げられた「円満」の額は、5代藩主吉村公の揮毫です
・室中 クジャクの間 *撮影禁止で画像ナシ
法要が行われる、本堂の中心となる部屋です
襖絵は狩野左京筆「松孔雀図」で、正面の「雲に飛天」の彫刻とともに、この部屋が世俗的な時間を超越したこの世の浄土であることを表現したものです
三聖堂 1682年 (天和2年)築
*
以上がパンフからの情報です
ここは松島観光の中でも人気のある場所なので、他にも多くの方が見学されていました
年齢層も若い方から高齢の方まで、幅広いものでした
杉並木の参道 これが見たかった
入口の券売機で入場券を購入し、受付に提出して中に入れます
まず、総門の左手には洞窟があり、この寺の名前が岩っぽい名前なのはこういう岩の地質からなのかな
ここから不思議な声が聞こえたとの伝説があり、不思議な洞窟です
奥に本堂
そこから禅寺らしい杉並木の参道を抜けて、右手の庫裏へ順路は続きます
庫裏の内部は撮影禁止なので、写真はありません
庫裏ということなので、現在の玄関は昔は台所だったそうです
中門と本堂
たくさんの雲水さんがいそうな大きなお寺なので、ここでたくさんの料理を作っていたのかも知れません
それで梁の木材がいぶされて、さらに強固なものになると説明されていました
ここからは靴を脱いで靴下などになるので、変な靴下は履いてこないように
中門と本堂
奥へ続く木造の廊下は、二条城ぽい造りで、歩くと床が鳴るうぐいす張りの廊下です
これは防犯の意味もあるのですよね
途中にはお土産売り場もあるので、お好きな方はどうぞ
(伊達系グッズがあったような)
窓からは石庭が見え、禅寺らしい造りで、とても素晴らしい庭で、東北でも京都のようなこんなすごい庭が見れるのが嬉しい場所です
この松島だけ、東北の中でも異空間ですね
中門と本堂 左が御成門
さらに奥へ行くときらびやかな上段の間があり、伊達政宗公おなーりーという感じです
他の部屋も金屏風に狩野派系のふすま絵が続き、伊達100万石(といわれている)の実力を見せつけられます
ほんと桃山系の寺ということで、そんな感じですね
宝物館など
国宝なので、見る価値はあると思います
襖絵は、近くの「観爛亭」と同じ狩野左京によるもので、当時のお抱え系の絵師だったのでしょうかね
襖絵だけでなく、400年もってきた、本堂や庫裏の造りも見応えがあります
本堂の背後には、窓から裏庭と茶室も見えます
背後はすぐ山が迫るので、ここは囲まれた場所で、絵のような風景です
伊達政宗公もここでお茶を頂いたりして一時、くつろいだのでしょうか
庫裡 ここからは撮影禁止
そんな見応えのある庫裏・本堂は、旦那も700円を出しても見るといいよと勧めて、旦那もついてきました
旦那も彼なりに「ふーん、これは豪華だね」なんて感じで、見ていました(のんき)
本堂を出ると宝物殿もあり、そちらも見ていました
庫裡 側面
これで一周できる感じですが、季節毎にもまた違う風景が見れると思うので、良いと思います
内部は禅寺っぽくない豪華なものですが、外観は禅寺系でかっこいいです
伊達文化の粋を集めた観光地、いかがでしょうか
洞窟系