☆貴重な資料「塔寺八幡神社長帖」」が残る鎮守様ー1★
場所・ 福島県河沼郡会津坂下町大字塔寺字松原2859
電話・ 0242−83−2553
創建・ 天喜3年(1055)
竣工・ 文久3年(1866)
構造・ 木造 木造明神系両部鳥居
祭神・ 誉田別命(応神天皇)、息長帯比売命(神功皇后)、比めの大神
御神徳・ 厄年の神(力強い軍神)、縁結び、子授け、安産の神
商売繁盛、家内安全、長寿の神、受験祈願、芸事上達祈願の神
境内社・ たくさんあります
縁日・ 2月初卯の日
社務所・ あり 御朱印、各種お祓い、祈祷などありそう 36代目
最終訪問・ 2019.11
*国・重要文化財 (塔寺八幡神社長帳・銅製ワニ口)
福島県西部、新潟県境に近い、会津坂下町の平地にあり、国道49号やインターからもアクセスが良いです
・心清水のいわれ
心(こころ)清水八幡の名の由来については次の言い伝えがあるそうです
前9年の役に八幡太郎義家が父頼義と共に会津に攻め入ったが、安倍氏の勢力強く、一進一退の戦いを強いられていました
その時義家が眼病を患い、ある夜、夢枕に立った神が、「お前の弓矢をもって巽(東南)の方に向かって矢を射よ。その矢の落ちたところに神泉があるからその清水で目を洗えば必ず治る。ゆめゆめ疑わずに試みよ。」とのお告げが(源氏の人たちは霊感というか不思議な力があったのかな)
翌日、矢を放って落ちたところに行くと果たして清泉の辺りで矢を発見しました
これこそ心霊の加護と喜び、その清水で毎日目を洗ったところ日ごとに良くなりました
そこでこの塔寺の地に八幡様を歓請したといいます
人呼んで心清水八幡様と言いました
・山の上にある本殿
当社の創建は天喜3年(1055)に源頼義が石清水八幡宮を歓請したといいます
同5年に社が建てられ、現在の拝殿、本殿は文久元年(1863)から3年間にわたり藩費で造営されたそうです
本殿は拝殿の裏、約100段の石段を登った山の上にあります
間口三間一尺、奥行き二面、南向きのしっかりした建物で、厳粛な雰囲気が漂います
参詣の折は山の上の本殿までぜひ足を運んで下さい(人のこと言えず)
東西南と三方面から参道が整備されていますが、南側参道脇には、吉田松陰、東北遊日記の碑が建っています
嘉永5年(1852)旧2月6月、当社に参拝して宝物を拝観しているそうです
時に23歳の若さだったそうです
今より4代前の戸内兵庫頭の所に、日新館師範、高津平蔵の紹介で松陰さんは訪れて一泊したそうです
宮司の戸内家は、頼義に従ってきた田中佐衛門尉源定重がこの村に住み、武官を兼ねて当社の神職となりました
戸内信濃をその祖と仰ぐ由緒ある家柄だそうです
・貴重な資料・長帳
心清水八幡神社には、中性の資料としては第一級の「塔寺八幡宮長帳」が残っています
もちろん、国の重要文化財に指定されています
戊申の役ではほとんど焼失に遭っている会津の中で貴重な資料がよくぞ残っていたものです
門 白い冬になる前の紅葉に染まる参道
この長帳の存在は早くから知られていて、江戸祖期の「会津風土記」にも、塙保己一の「続群書類従」にも記されています
叺(かます)の中に入っていたのを年代ことにつなぎ合わせたのが今に残っています
幅、平均36センチ、枚数197で、つないだものは全長約120mの長さに達しているので古くから「長帳」と呼ばれているそうです
保科正之の時代に会津は北朝についていたので、足利の年号を使っていましたが、この長帳も北朝関係の年号だったので運よく残ることができたとも言われています
もちろん、歴代の神職の方々の見識ある配慮によることも忘れてはなりません
貞和6年(1350)から寛永2年(1653)にわたる286年間の神社の年日記で中世以後の信仰生活を知る上で重要な資料です
特にその裏書きが貴重なもので、会津を中心に、畿内鎌倉などの社会の動きや生活の有り様などが断片的ではありますが記載されています
(今の疫病などは数百年後にどのような書き方をされているのだろうか、知る由もないが)
明応8年(1499)の項では、「大飢饉日本国迷惑候、米弐拾貫文(弐貫八百文カ)をかきる、神前の桜此年うへ候、八月三、、、」などメモのように書き付けてあり、非常に興味深いものがあります
(当時でいう、今のツイッターのつぶやきですかね)
現存するものは昭和31年の修理でこれを八巻に表装されています
詳しくは「会津坂下町史」第三巻文化編に写真版、活字版とともに所収されていて便利になったそうです
・戌彦卯の歳の守り神
歳旦祭に始まり、2月の初卯の日は八幡様の縁日でにぎわいます
当社は、戌と亥と卯の歳の守り神
物事をはじめる日としてお願いすれば事業がうまく行くといって参詣する人たちが多いそうです
祭神が神功皇后なので三韓征伐の日に当たるこの初卯祭は大事な祭でもあります
心清水八幡宮には、長帳の他にいくつもの社宝が残されています
国の重要文化財に指定されている「銅製ワニ口」もその一つです
直径70センチ、至徳4年(1387)11月15日、大工円性、聖は頼円と奉鋳の名が銘記されています
県重文の大きな鉄鉢「心清水八幡神社鉄鉢」もあります
たらい形で読みにくい左文字が有名で、応仁2年(1468)の作です
他に地方画家、松本良泉の「源氏壇ノ浦評定図」が奉納されています
第二鳥居 境内へと続く
なお、「新編会津風土記」にも書いてある「蝉丸」という有名な横笛があったといいます
この笛は、八幡太郎義家が吹いていたといわれるもので、長さ、約40センチ、ふき口が大きくて普通の人では吹くことが大変だったらしいです
ひとたび吹けば、その音の清澄、明朗なこと、三里の遠くまで聞こえたといいます
この笛は、明治11年の神社明細帳には載っていたらしいですが、残念ながら明治45年旧三月の塔寺大火により焼けてなくなってしまったらしく今に残っていません