☆神代から脈々と受け継がれる、会津の文化発祥の地★
場所・ 福島県大沼郡会津美里町宮林甲4377
電話・ 0242−54−5050
創建・ 2000年前
竣工・ 現在地に遷座したのは欽明天皇13年(552)以降
山門 平成3年 総工費・2億円
構造・ 木造 現在の本殿、拝殿は火災後は仮 木造明神系鳥居
祭神・ 伊弉諾尊 伊弉冉尊 大毘古命 建沼河別命
社務所・ あり 御朱印あり 授与所あり 各種祈祷OK
最終訪問・ 2020.02
*国・重文「朱漆金銅装神輿」
*国・重文「木造こま犬一対」
★「会津開拓の祖神」
会津の黎明は伊佐須美神社を拠点として開けて行ったといわれています
その起源は神話時代の崇神天皇10年の地方巡撫のため四道将軍を遣わしたことに遡ります
北陸道から大毘古命、東海道より御子の建沼河別命が各々北上し2人が会ったところから相津(会津)の地名が起こり、この出会いを記念して、伊弉諾尊、イザナミノミコト両神を祀ったとされます
この四道将軍の進軍は、稲作の技術を伝えることにより土地の人々との協力関係を作りながら屯田兵のような役割を果たしていくことになります
したがって当社が、会津開拓の祖神として崇敬されるゆえんもここにあるそうです
★日本3田植え
7月12日、日本3田植えの昼田植えが伊佐須美神社で盛大に行われます
本殿での神幸祭の後、午前10時から「獅子追い」の神事が始まります
ドンス、ユカタ、タスキ、ハチマキの祭姿で童子童女(正式には男のみ)約1000人の獅子が8つの獅子頭を先頭にかけ声勇ましく走ります
社殿を右から3回周って町内を駆け抜け、約2キロ離れた駅前の御田神社につくと社前の神田に入って田荒らし(泥を足で踏む)を行います
帰りは本殿を逆に左から3回周って終わります
これは田作を荒らす動物を追い払う意味を示しますが、他ではやらないこの神社独特の古い伝統ある神事です
獅子追いが動的な神事とすれば午後13時から行われる神輿渡御は静的なものです
デコ(田植姿の等身大の人形11体)を中心に長い行列がお囃子を唱しながら午後15時頃、御田神社につきます
(こちらの神社にも行けばよかったー、知らなかったー)
楽人の植歌から始まって早乙女踊り、稚児舞、彼岸獅子等の奉納があって、裃姿の太鼓持ちの楽人が田に入り参列者は催馬楽(さいばら)(田植唄)を斎唱します
歌詞は12段ありましたが、最後の段のみなくなっているそうです
「舟・あし毛の駒・田植えのそよと入れる様子」など稲作が始められた頃の事情をリアルに表現していて味わい深いそうです
宮司の方は「国の無形文化財になるには後から肉付けされたものを削いで原典に忠実にします。一方復活させるべきものは正確につけくわえる必要があります。純然たる神事と協力的行事とが混在しているのでそれをどのように区別していくかが問題です」と言われているそうです
結局、獅子追いのデコ行列と田植歌などを主とする本来の姿の「お田植祭」への復帰が望まれよう、とのことです
★様々な祭事
・砂山祭
毎年5月5日寅の刻(午前4時頃)に行われます
前回に玉垣内の北東の隅に2つの砂山を築き祭場とし塩竃神を勧請します
祭関係者のみによる秘事とされ、当社宮司の引継ぎ事項としては非常に重要な祭事です
これは会津は山国で塩に恵まれないため、生活上最も必要な塩に欠くことのないようにとの祈願が儀式化し神秘的になっていったと思われるそうです
神餅は笹餅です
・花祝祭
4月29日は「花の餅」とも称し、御神木の「薄墨桜」の花の下で桜花を餅につきまぜて神前に供え、その餅を直来で頂く祭事
神楽殿では、神楽講中の人たちで「大々神楽」の奉納があります
・御大祭 9月15日 無事に行われたと良いですが
・秋まつり 11月23日 もうすぐですが、今年はできるかな
山門
★すばらしい楼門
平成3年、2億円かけて高さ14m、間口7m、奥行き3m、屋根幅13mというもので材木は青森のヒバ
ヒバは檜科で、檜はきちんと手入れすれば1000年は持つそうです
石段の石材は幅8m、重量は1本、5トンで10本、岐阜の楼門では毎年クラシックの野外コンサートが開催され、照明に華やかに映える中、美しい調べを聴こうとたくさんの方が集まるそうです
夜は照明を絶やさないので、夜中にも参拝に訪れ神々しい気分が醸し出されるそうです
本殿は明治38年落成のものでしたが、残念ながら2008年に放火により焼失してしまいました
現在は仮社殿で、小さなものですが、将来はこの楼門にふさわしい社殿が造営される遠大な計画もあるそうです
神社を取り巻く石灯篭は160基の多きに数えられますが、今でも奉納の希望者が絶えないと言います
★恵まれた環境
神社の南側は約2ヘクタールのあやめ苑になっています
150種、10万株のあやめが6月下旬、花を咲かせてにぎわうそうです
池の錦鯉も種類が多く人気が高いそうです
西南の方には高天原(たかまがはら)という神域がありますが、ここの桜は宮川堤の桜と並んで有名だそうです
東参道はなかなか風情のある参道で中ほどに「金精大国社」と名つけて10年ほど前から勧請されました
女性の方が男運が開けるように拝んでいくそうです(婚活女子に最適か)
「戊申の役で会津は悪者になってしまった。当社も本来なら国幣大社となるべきところ中社で抑えられバカにされてきた。これからは県内では唯一の全国的な神社として、この伊佐須美神社を発展させることが会津の発展につながることを信念にしているので時々会津の批判が口に出て来る」と宮司さんは述懐されるそうです
「光と音が声明の躍動なので大切にする」ことを修行中の神主さんたちに指導されているそうです