☆一度は泊まりたい銀山温泉を代表する人気宿☆
場所・ 山形県尾花沢市大字銀山新畑446
電話・ 0237−28−2327
泉質・ (共有源泉)含食塩硫化水素泉 66度
PH7 2712mg かけ流し (低張性・中性・高温泉)
開湯・ 1500年
創業・ 明治25年
竣工・ 大正10年 (1921) 平成4年改装
2011年にも大幅改装
構造・ 木造3階建て 4~5階に一部塔屋付 鉄筋の別館もあり 和17室
設計・施工・鏝絵 伊藤辰右衛門 左官・後藤玉舟
風呂・ 男女別 内湯・露天1ずつ、貸切内湯1、貸切露天1(冬閉鎖)
料金・ 2食付 本館 山側 23000円〜 立ち寄り 不可
文人・ 斎藤茂吉 戦時中に疎開
最終訪問・ 2023・01 外観のみ4回目
*国・登録有形文化財 *日本秘湯を守る会
*NHK 「昼ブラ」で紹介 *メディア露出多数
銀山温泉街の奥にあり、温泉街を代表する人気旅館です
木造3〜4階建てが当たり前の温泉街の中でもひときわ豪華な意匠で温泉街の人気を引っ張っています
夜の夜景 右隣の宿「永澤平八」さんには宿泊済
この宿と向かいの「古勢起屋本館」さんだけは国指定の登録有形文化財で、温泉FANなら誰もが一度は宿泊してみたい素晴らしい楼閣建築です
雪景色が一番美しい
渋温泉で言ったら「金具屋」さん的な感じでしょう
温泉にあまり興味のない方でも銀山温泉は知っていたりしますしね
正面から 大正10年(1921)築 百年以上
山形にあるのに「能登屋」というのは、創業者がやはり能登出身だったからだそうです
山形と能登は「北前舟」で昔から深いつながりがあり、これもその流れかも知れません
この旅館の建物は、3階建ての建物の上に2層の塔を乗せた、大正10年(1921)建設です
100年以上を経過する建物なのですね
この建物も、かつては湯治場として使われており、平成4年(1992)に内部を一部改装しています
湯治場として使用していたときには、道路に面した側に廊下があって、客室は独立していましたが、このとき2間続きの部屋に改造されたそうです
建物意匠に凝っているのは玄関部分です
1階にポーチを突き出し、その上にはベランダが周ります
建物全体は和風にまとめられていますが、この部分の構成は洋風建築に習ったのでしょう
ポーチを支える柱は太く、下部は石で、上部は漆喰仕立てですが、ギリシャ建築などに見られる渦巻模様の「イオニア式」の柱頭が見られます
ポーチ上部の2、3階壁には、アーチの形をした開口部も見られます
5月の早朝 温泉街を独り占め
その一方で、ポーチ上部の2階ベランダ手すりの模様には、松ノ木をモチーフにした和風の装飾が見られます
4階の談話室は、洋風の建築に窓際や天井の照明などに意匠が凝らされています
このように和と洋が混在しています
山形県で洋の建物が盛んになったのは、明治時代に三島県令が県庁や郡役所を洋館で建てたことからだと思います
そのおかげで地元の棟梁にその技術が培われたものと思います
おそらく、建物に洋風建築の要素を用いたのは、目新しさを出すことによって、人々の注目を集めることを考えてのことでしょう
室内には手の込んだ彫刻や銘木も見られますが、これも同じ理由からと考えられます
また、道路側から見える雨戸の戸袋には、手の込んだ鏝絵が施されています
約100年前の計画通り、現在でもメディア露出が多く、人々の注目を集めています
建物を建てた伊藤辰右衛門は、銀山温泉に近い尾花沢の地元棟梁です
そして鏝絵は、尾花沢の隣、大石田の左官・後藤玉舟によって作られました
それにしても銀山温泉は町から遠く離れた地に位置しています
山奥とはいわないまでも、かなり奥まった場所で、周辺の農村とは別世界です
夕方の様子 この時間も美しい 5月
銀山温泉には能登屋旅館と同じような建物がいくつもありますが、この地によくこれだけの建物が約100年前に建てられたものだと感心します
それが現在まできれいに残り、やはり昔の職人さんたちは天才だったのですね
湯は白くとろりとした共通源泉で、かけ流しです
檜風呂と御影石造りの浴室は時間で男女が入れ替わります
半地下には貸切の元湯洞窟風呂がもあり、これは当時からのものでしょうか
露天風呂は冬は温度が下がるため閉鎖となりますが、最近は貸切の湯がかなり上った丘の上にできたそうです
いつかは宿泊してみたい、あこがれの宿の一つです
今回は外観見学のみでしたが、リベンジしたいものです
左端が「能登屋旅館」
文化財の中に現在でも泊まれるなんて本当に貴重な旅館です
これからもこの街並みを失うことなくずっと続いていって、日本の温泉文化を伝え続けてほしいです
温泉・文化財・木造旅館好きの方にもオススメです(^^♪