八海山の山岳宗教の拠点で修験道や神道との融合も

場所・ 新潟県南魚沼市大崎3455

電話・ 025-779-2020

創建・ 永承5年(1050)

竣工・ 本堂 宝暦10年(1760)再建

紫雲閣観音堂 昭和40年

構造・ 木造 禅様式 観音堂はインドグプタ王朝様式

御本尊・ 十一面観世音菩薩

庫裏・ あり 9~18時 拝観料 300円 外観自由 *当時の情報

最終訪問・ 2020.10 再訪

*建物内部撮影禁止

 

・龍谷寺の歴史

十一世紀の半ば、陸奥の安倍氏討伐のため鎮守府代将軍に任ぜられた源阿臣頼義公が、陸奥国に下向したことは、「前九年の役」としてよく知られておりますが、

 

その軍勢がこの大崎村で猛吹雪のため遭難し千余の凍死者を出したこと、そしてこれが雪害の記録として日本最古であることは、あまり知られていませんドクロ



この事件は、龍谷寺にとって本尊・阿弥陀如来(成仏の弥陀)の由来譚として、その歴史を語ることには忘れてはならない事柄ですえーん
 

すなわち、吹雪の中で凍死した将兵の菩提を弔うために、大将軍頼義公が、永承5年(1050)に当寺に仏様を寄進されましたキラキラ
そしてこの仏像こそが龍谷寺の本尊様です(下画像)ウインク



このお像は平安時代の代表的な仏師・定朝大法印の作で木心乾漆切金の平安仏として知られていますキラキラ
この頃龍谷寺は現在地の南、遭難の場所を一望に見下ろす堂平の高台にあり「龍の口六萬寺」と称していました富士山

 

現在の本堂 4月の様子 まだGWでも雪が残る


当時の仏教は神道・陰陽道・神仙道等との習合を深め、寺院を山地に建立し、山岳を修行の道場とするようになり、山岳宗教といわれる色彩を強めておりましたキラキラ
こういうなかで八海山を修行の道場として創建されたのが龍の口六萬寺という天台宗の寺でしたパー

 

秋の八海山尊神社の社務所の「龍の口」


ここを拠点に多くの行者が峰入り修行に励んでいたと伝えられています上矢印
そしてこの六萬寺はのちに真言宗に改め二十一代の法灯を伝えましたキラキラ

下って大永3年(1523)天慶宗積禅師が上州より来越し、六萬寺を禅宗寺院として復興し名称も「龍の口龍谷寺」と改め、以降曹洞宗の寺院となりました上矢印
 

その後しばらく堂平にあった寺は、惜しくも雪崩のため倒壊してしまい、慶長年間に現在の地に移りました(また雪害)アセアセ

 

八海山尊神社の裏手の奥宮入口の看板


この地は南北朝の時代、南朝方の豪族「大崎九郎右衛門」の居館跡で、百間四方一万坪の敷地に、大崎氏の内鎮守であった八海山を祀る石宮を中心に伽藍を構えました筋肉
ちなみにこの「大崎九郎右衛門」はそれ以前、南北朝の争いに敗れ、上州に敗走していました富士山

 

奥の4基の墓石に修験者が参拝されていた

  右に木食さんの墓


先年、境内の2m地下で切石を敷き詰めたところが見つかり、以前に大きな建造物があったことが窺われましたルンルン
この移転をきっかけに「龍の口」を改め、現在の「八海山 龍谷寺」という名称が使われるようになりました富士山

そのほか、昔を伝えるものとして親王塚と梵字碑などがありますウインク
「親王塚」は後醍醐天皇の第二皇子「宗良親王」の墓所と伝えられていますまじかるクラウン

 

八海山尊神社 裏手の奥宮入口


宗良親王は有名な歌人であるとともに天台座主に任ぜられた宗教者でもありましたが、南北朝の動乱にあって父・後醍醐天皇を助け各地を転戦し、越後で最期を迎えたと伝えられる悲劇の人ですえーん

また当寺に五十基ほど保管してある「梵字碑」は、南北朝時代の庶民の墓石ですドクロ
これは自然石に仏様の種字を刻んで墓石としたもので、中には石面に親の菩提を願う孝子の赤心がつづられているものもありますチョコがけハート



形式や分布の特殊性からこれらは特に「魚沼梵字碑」と命名登録され、民俗学の貴重な資料として著名です義理チョコ
またこれらの梵字碑には南朝の年号を刻んだものもあり、大崎氏のもと南朝に与した大崎の歴史を垣間見ることができますお父さん



以来、龍谷寺は、檀信徒往僧の努力で江戸中期宝暦年間に現在の本堂を建立し、山門・座禅堂・衆尞等が整備され、十万石の寺格を付与されるなど、当地域の中心寺院として活動を続けてきましたキラキラ

 

八海山尊神社 本殿


また、最近注目を集める幕末の名匠・石川雲蝶の欄間が、獏、麒麟、唐獅子、牡丹など六面伝えられていますルンルン
江戸文久年間に彫刻されたものですお父さん



大正期より3代に渡り海外布教等にハワイの日本人移民の開教に従事し、中にはホワイトハウスでの曹洞宗管長・新井石禅師米国ハーディング大統領との公式会見に陪席した住職もありましたおじいちゃん
これが日本人と米国大統領との最初の面会ですアメリカ

終戦後、ハワイの日系移民の間で、世界平和と祖国日本の復興を祈願して観音様の建立が発願され、昭和28年に至り十一面観世音菩薩像が完成し、龍谷寺において開眼の運びとなりましたウインク
この尊像は、新潟県村上市出身の故・山脇敏夫先生(日展審査員)の傑作として著名な観音像ですキラキラ

 

「慈雲閣 観音堂」 入口はここから


ついで昭和40年には、観音様を奉安する観音堂「慈雲閣」が落慶しました上矢印
この建物はインドグプタ朝時代の建築様式に範をとり、およそ1500年ほど前のインドでも仏教の盛んな頃の泰斗として著名な故・大岡実博士(国宝審査委員長)で、仏教のさらなる興隆と観音菩薩道の教えの弘通を願って建立されましたキラキラ



また昭和50年、仏縁あって竹内勝山先生作の仏像200余体を龍谷寺にて奉安することとなり、昭和54年に妙高堂が落慶しました上矢印
 

このお堂にお祭する仏像は、如来・仏・明王・天部など十三仏・十二支の守り本尊等々お名前を耳にしたことのある仏像はほとんど安置されており、厄払いの御堂として参拝者を集めていますウインク

             *

 

それにしても、私にとって八海山周辺というのは、不思議な磁場が働いているのか、2回中、2回とも神社好きの方との素敵な出会いに恵まれて、他の場所ではそんなことは起こらないんですよウインク

 

 

 

(11月には妙高山を祀った山岳信仰の「関山神社」に参拝したら、またその日に現地で素敵なことが起こりました)

 

 

 

やはり昔からの霊場というのは、何かしらの力が働いていて、もしくは私との相性が良いのかもハート

人をひきつけ、人と人とを出会わせるきっかけとなり富士山

 

 

もう今度は、豪雪の雪景色を撮りにまた冬に八海山に来ようかな雪だるま

そしたらまた、誰かに出会えるかもチョコがけハート

 

 

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