★現在は河合さん家で内部は非公開、マナー良く★
場所・ 群馬県利根郡みなかみ町須川「道の駅・たくみの里」
電話・ たくみの里 0278-64-2210
竣工・ 江戸時代(1842)
構造・ 木造平屋建て
最終訪問・ 2012・05 車のイベントで再訪
*県・重要文化財は「旧大庄屋役宅及び書院」「泰寧寺」
群馬県北部、みなかみ町の道の駅・たくみの里になっています
三国街道の須川宿は建久の頃より沼田荘に属し、須川郷と呼ばれていました
須川宿は布施宿より19町、相俣宿よりは30町の位置にあります
須川平と呼ばれる広い河岸段丘面上にあって、宿は須川村の町組と呼ばれ全長300間(5町)ほぼ直線上で街道中央を水路が通っていました
須川宿の屋敷図割は、数は貞享3年(1686)に49軒、明治9年の宿地割では54軒とほとんど変化がありません
本陣兼問屋(現・梅沢氏宅)と脇本陣が隣合っておかれていました
本陣宅は明治初期の建物ですが、古い土蔵を残しています
脇本陣は家は転出して屋敷跡のみ残っています
旅籠屋の数は明らかではありませんが、天保13年(1842)の「天領・佐渡奉行」宿泊時には脇本陣他6軒、同年の村松藩(新潟県五泉市なぜか安中さんが多い)の際には18軒に分宿しています
明治9年(1876)の地図割に示された54軒中28軒の家には屋号があり、かじや、桶や、くるまや、いかけやなどの職業を示すものが見られます
明治7年(1874)に切が久保新道ならびに湯宿の赤岩新道が開削されると三国街道の通行は、中山道ー布施宿ー相俣宿へと変わりました
現在の宿通りは短冊地割に街道に直交して建つ家並が昔の宿場を偲ばせています
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★旧大庄屋役宅書院 江戸後期(1842)
東峰須川は、まわりの6か村とともに石高1100石の旗本伊丹氏の所領であり、1842(天保13)年に東峰須川の河合家、4代目・定右衛門が大庄屋を命ぜられたときに領主伊丹氏が用心の内山忠太夫に命じて造らせたものです
主にここは伊丹氏来村の際の休息所に使用しました
間口3間奥行き5間の寄棟造りで内部は8畳敷きの上段の間と10畳敷きの控えの間を中心としています
特に上段の間は床の間・傍床・付け書院・帳台構えと備えた本格的な書院造りです
このときは雨に濡れたしだれ桜と蔵の風景が哀愁があって素敵だったので撮影
一見、お寺のようですが、現在は人の家で内部は非公開ですのでマナー良く静かに見学しましょう
宿場・街道歩き・町並み好きの方にもオススメです(^^♪