江戸時代は藩、明治以降は繊維、軍事、農業で発展

場所・ 新潟県五泉市村松地区

町の始まり・ 700年代と古い

藩体制・ 3万石 堀家12代

名産品・ 繊維商品、米、銀杏、しいたけ、栗、サトイモ、メロン、日本酒

見どころ・ 日枝神社、商店街、さくらんど温泉、慈光寺、旧遊郭地区

最終訪問・ 2018.05 再訪

新潟県の下越地方、越後平野のドン詰まりにある三方を山や丘陵に囲まれた城下町です富士山
村松町は、江戸時代は新潟県中蒲原郡にある、旧村松藩(堀家三万石)の城下町として、戦前・戦中は軍都として栄え、戦後は農業と繊維産業を中心に発展してきましたお父さん
2006年(平成18年)1月1日に隣接していた五泉市と合併し、新たに五泉市となりました乙女のトキメキ



地名

 

 「村松」という名の由来ははっきり判っていませんが、郷社である日枝神社と町寺である正圓寺は延暦15年(西暦796年)頃、村社である住吉神社及び清水寺は大同元年(西暦806年)に創建されたと伝えられます乙女のトキメキ

 


この事から、当時「村松」という地名だったかは不明ですが、村松町近辺には平安時代に集落があったものと思われますキラキラ

永徳2年(西暦1382年)に日枝神社へ奉納された鰐口に村松山王大権現の刻銘があり、文字ではこれが「村松」として、初めて現れたものです乙女のトキメキ

村松藩

 

江戸時代初期、村松は村上藩の支配を受けていましたアセアセ
藩主・堀直寄(ほりなおより)の跡継ぎだった長男直次(なおつぐ)が早死にした為、幕府は直寄の死後、村上藩を10万石から13万石に高直しをし、10万石を孫の千介に与え、3万石を次男の直時(なおとき)に分家しましたお父さん

 

功績のあった藩主を祀る 「直央神社」神社


この時、村松地方は村上藩領でしたが、直時の次男直吉(なおよし)の時代に領地替えが行われ、在所(=くにもと)を村松に定め、正保元年(1644年)村松藩となりましたキラキラ

 

藩主を祀った「住吉神社」神社


村松藩は成立当初は無城でしたが、その後、中世豪族の館跡に陣屋を新築し、寛永3年(1850年)に城主格に昇格してからは城らしく改修工事を行いましたキラキラ
村松城の場所は現在、村松城跡公園として整備・保護され、資料館も公園内に建設されましたウインク

歴代藩主

 

村上・堀家から分封した直時を初代としていますが、実際に村松を在所と定めたのは直吉ですお父さん
直吉が村松藩を成立させてから第12代直弘(なおひろ)が明治4年(1871年)の廃藩を迎えるまでの227年間、所替えも他家からの養子縁組もなく、多少変則はあっても血族相継いで村松藩を支配していました上矢印

戊辰戦争

 

幕末になると、全国では薩摩・長州を中心とする尊王討幕派と幕府派が対立するようになり、村松藩でも倒幕を訴える正義党が結成されましたお父さん


しかし、村松藩は幕府側の大藩である会津藩と領地が接していることもあり、この正義党を弾圧し、戊辰戦争が始まると奥羽列藩同盟に加盟して新政府軍と戦いましたアセアセ

当時の藩主11代直賀(なおよし)は村松上を放棄して米沢に走り、これを期に正義党は直弘(なおひろ)を擁立し、新政府軍に村松藩の保護願いを出しましたおじいちゃん
新政府は、村松のその後の会津追討への参加などを受け、村松藩の再興を許し、直弘に家督を相続させました上矢印

廃藩置県

 

明治政府は、中央集権体制を目指し版籍奉還(はんせきほうかん)を実施して、藩主の領地・領民を朝廷に返し、藩主は制度上知藩事として中央政府の地方官に編成替えする事にしましたおじいちゃん
明治2年(1869年)に全国一律の版籍奉還が実施され、藩主直弘は村松藩知事に任命されましたお父さん

そして、明治4年(1871年)7月14日に廃藩置県が実施され、村松藩は村松県と改名となり、同年11月20日には新潟県に合併されましたアセアセ                      



今回は12年ぶりに村松地区を訪れました
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日本海側の都市から行くと、車で1時間くらいで五泉市・村松地区に入ります上矢印
(磐越自動車道の高速があるので、それを使えば30キロくらいなので、30分もあれば着くと思います)

 

寺町と料亭はペアが多い


五泉市の中心市街よりさらに奥まった位置にある村松地区は、市町村合併までは「村松町」という自治体で、五泉市との合併で地名が消えてしまいましたアセアセ
約600年間、続いてきた地名がなくなるというのは寂しいですねガーン

昔、村松を訪れた理由はさくらんど温泉という温泉施設に行くためでした桜
そのときはまだ何も知らずに、温泉目当てで行きましたが、町の中心の商店街を通るとき、曲がり角が多い商店街だなあと思いましたキョロキョロ

 

料亭「木むら」 軍の町には遊郭も?


それはこの町が元々、城下町で、さらに奥にある現在の村松公園にあったお城を護るために鍵の手に作られた町割りでしたアセアセ
商店街の裏には寺町も残り、武士の町の作りをしていますお父さん

しかし、そのときは何も気が付きませんでしたガーン
今回訪れたときは、商店街に「のぼり旗祭」と書かれた戦国風ののぼり旗が飾られ、次の週の日曜日に開催される予定だったようです(6月の第一日曜日)ウインク

 

村松には2蔵ほどの酒造が 「金鶏盃(きんしはい)」日本酒


やはり城下町なので、のぼり旗なのでしょうね上矢印
寺町と神社以外は、あまり町並み的な城下の遺構はありませんガーン
江戸時代は、村上藩の支配を受けていたんですねアセアセ



そして、隣町の現在の阿賀町はまだ当時は会津藩で、1871年までは新潟県ではなかった、ということは当時はこの町が越後の国の国境だったんですねキョロキョロ
確かにここで越後平野が終わって、山が始まりますからね富士山

そしてその三方を山に囲まれた立地は、天然の要害で、明治以降は陸軍歩兵第30連隊が現在の村松公園周辺に置かれましたドクロ

城跡に軍隊が来る、というのは定番ですよねお父さん

 

かつてこの門の向こうに基地が


県内でも上越市、新発田市などがこれに当たりますウインク
約100年前の1919年、ここからシベリア出兵をしたそうですお父さん
私が当時の兵士だったら、シベリアなんて行きたくないよー!!

100年前に生まれなくて、良かった!!

 

「能代 諏訪神社」 自然と融合した美しい農村神社神社


軍の町としての遺構は、村松公園の忠霊塔、南部郷病院裏に残る煉瓦門と、村松体育館前に残る歩哨と煉瓦門、説明看板のみガーン
郊外の方の農村の方にも、歴史が1000年以上ある古い古社が多く、とても雰囲気のある日本の原風景、美しい景観が見られます乙女のトキメキ

 

式内 村社 「八津 八幡宮」 神社


山に囲まれ、清らかな水に恵まれているので、そばやお米、日本酒も美味しいですし、温泉もあるので、ぜひ郊外の農村の方も見てほしいですウインク
ただ、晴れた日曜日でも車も人も全くいないのが心配でしたが、、、
その代わり、「混む」ということがないのは良いと思います
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越後4大道場 「曹洞宗 慈光寺」の参道


曹洞宗の参道が雰囲気ある越後4大道場の古刹・「慈光寺」や行基が関係したとされる「別所 虚空蔵堂」もあるので、そちらもオススメですウインク
神社や虚空蔵堂には1200年の樹齢を誇る大木もあり、パワーをもらえると思いますキラキラ

 

「別所 虚空蔵堂」 国・登録有形文化財キラキラ


郷社の「日枝神社」「住吉神社」もかなり雰囲気のある歴史の長い神社ですので、こちらもぜひどうぞ!!

 (私も失礼ですが、ここまで村松に見どころが多いとは思いませんでした)


そんな村松地区でしたが、一般にはあまり知られていませんし、五泉市の方に地名も変わってしまい、あまり旅行で来られる方も少ないかとは思いますが、見どころが多いので、ぜひ知ってほしいです乙女のトキメキ

 

総鎮守 「日枝神社」神社


電車も1999年で蒲原鉄道が廃止になってしまい、最寄り駅はJR五泉駅、村松地区にはお安いコミュニティーバスが通っているので、バスが公共交通の頼りですが、本数の問題もありますし、アクセスは車がオススメです車

 

桜の時期にはにぎわう「村松公園」 桜


山や丘陵に囲まれて地形的にも訪れにくいかもですが、歴史ある素敵な町ですので、ぜひ来てほしいですラブ

会津からの方が、太平洋側の方は来やすいかもですね富士山

新潟は、かなり広くリピーターも多いので、リピーターの方にいかがでしょうか?

城下町・古社・古刹好きの方にもオススメです♪