村上藩開発の街道や繊維産業で栄えた堤防上の商家町

場所・ 新潟県見附市本町3丁目

竣工・ 明治以降か

構造・ 木造2階建て 妻入り町家

最終訪問・ 2019.01

中越地方の北東部、刈谷田川が東山丘陵から新潟平野に流れ出る自然堤防上に作られた町です波
はじめ村上藩、正保2年(1645)からは村松藩領お父さん


村松藩(現在の五泉市)によって寛文年間(1661~73)に、見附町元町より住民をこの見附新町や見附町に移転させ、刈谷田川の右岸山沿いに道路を付け替え丹波街道と称し参勤交代道路としましたウインク

 

町並みの右奥に諏訪神社


この見附町、見附新町の移転・新設と道路の開設は、陸上交通より刈谷田川船運とを連結させる村松藩の経済政策の一環でした筋肉


その後、寛文13年(1672)に見附本陣の造営、延宝3年(1675)御旅籠屋建立、また同年3年、三貫野往来道の開通などにより、村松藩の領内支配の拠点として、交通・流通の要所として発展しました上矢印

 

新潟の町並みには定番の雁木


町立ての移動と時を同じくして六斎市も開設され、この本町辺りは大いににぎわっていました乙女のトキメキ
寛文10年(1670)の見附町・新町の家数248・人数1077ルンルン
天保2年(1831)には家数2539、店数935となり、明治元年には家数4649、店数1747となりましたキラキラ

物産の木綿織は村松藩の意向を受けた「見附町商人」によって結城(茨城県結城市)から技術が導入され、天保年間(1830~44)以降、急激な発展を見て見附一帯で盛んになりました乙女のトキメキ

その後は、綿織物から絹織物・絹綿交織物、柞蚕糸により製品・人絹糸・スフ糸などの原材料の変化、ナイロンに始まる合成繊維の導入などを経て、繊維産業は現在、見附市の主要産業となっています星

 

かつての木造の町家は数件のみの歯抜け状態


さて、古い町並ですが、本町3丁目に切妻造り妻入り2階建てで雁木を備えた見事な町並が残っていましたピンクハート
新町から続く広い通りは本町2丁目と3丁目の境で道幅が狭くなり、雁木が残るこの古い街並みになりますルンルン


本町2丁目・新町あたりでも雁木が続く町並みだったようですが、道路拡張によりすべて取り壊されて、近代的なアーケードの雪よけができていて、風情が全く感じられない光景になっていましたガーン


雁木が残るこの町並もいずれば雁木が取り払われた道路拡張工事が行われるかも知れませんが、昨今のレトロ、歴史、ふるさとブームもさることながら町の歴史と景観もあるので、ちゃんと残していく方が賢明かと思いますおねがい

(古い町並みのHPより)



見附の町並みのハイライト、今日、一番楽しみにしてきた町並ですハート
今年の冬は雪が少ないので、あまり雪の多い中越らしい写真は撮れませんでしたが、かろうじて残っている雪を入れて撮ってみましたカメラ

 


だいぶ前の状態の画像なのか、ネットで調べたような町屋の連続する風景はすでに失われていて、歯抜け状態だったのが残念でしたが、本町2丁目の近代的な商店街から、急に道幅が狭くなり、時代が前時代にドラマティックに変化する様子は印象的でしたラブ
まるで商店街をタイムスリップした感じ、、、

道路拡張からは逃れたものの、残った町屋も壁が新建材になったりしていて、虫の息でした
アセアセ
どうにかね、残りの町家を活かして、見附の商店街おこしの起爆剤になればいいのになあと思います上矢印


奇跡的に残っていた雑貨屋さんが青森の商店街で見たような懐かしい店先で、冬らしく店頭には雪かきグッズが多く並んでいました雪だるま
もし見附の町を取り上げたグラビアの写真を撮るなら、間違いなくこの雑貨店を撮るだろうな、という風情あるお店なんです(下画像)ピンクハート



歴史に関しては、この町が「新町」と言われる地区のある理由、江戸時代に開発された新しい街なんですね乙女のトキメキ
「見附商人」というのがいたとは、「近江商人」的な?
今で言う起業家的な感じの方は昔からいたんですねお父さん


「新町」は村松藩の収入源や街道の整備、今で言う高速・バイパス工事、イオンなどのショッピングモール開発などと同じように、昔から再開発みたいなのって頻繁にされていたんですねウインク

 

現代でもこういった商品内容のお店は貴重乙女のトキメキ

黄色の雪かき道具に赤いそり、冬の中越らしい店先雪だるま


町は生まれ変わる、現代人は古い町並みを壊して再開発をするのは罪のようなところもありますが、町が成長し続けるためには、新しい一角も作って行かないと、新しい人たちが入って来ず、町の経済が停滞してしまうんだろうなガーン
そして新しい人が入って来ないと少子高齢化で自治体自体が衰退していってしまう、、、

今回も見附の町を歩いていても90~70代のお年寄りのお葬式をやっていて、古い町家に住んでいただろう方たちがいなくなり、今後の町並みはどうなるのかな
?と思いましたガーン


新しい部分だけでも町に趣や歴史の重み、心のよりどころがなくなるし、古い部分だけだと衰退するドクロ
人にもいろんな面があるように、町にも歴史を活かしつつ、新しい魅力を作っていくように多面的にすれば、いろんな人たちを魅了することのできる素敵な町ができるんじゃないかな、と思いますピンクハート

話がそれましたが、町並の上には異空間のような諏訪神社、すぐ後ろには山が迫り、交通の要だった刈谷田川が流れる、風光明媚な場所にある見附の町波

 

本町3丁目に面している諏訪神社


昔から繊維産業が盛んだったこと、その技術は世界無形文化遺産の茨城県結城市からの導入ということで、結城市の方にも行ったことのある私は、ここで旅と旅がつながった感じで嬉しかったです(茨城県の古い町並みのテーマに記事あり)ピンクハート


やはりきれいな水の得られる(雪解け水も)ところには繊維産業、冬の副業としての機織り産業という感じでしょうかね乙女のトキメキ
現在でも長岡市栃尾~見附市内を走っていると多くの繊維・ニット・メリヤス・テキスタイル系の企業があるのがわかりますウインク

 

茨城県結城市の商家町 まさか9年後の見附とつながるとは


ファッション関係の学校を出ている私たち夫婦には気になる町ですが、どれだけ産業として成り立っているのか、経営はどうなのか?
見附市が長岡市に合併されずに独立していられる、ということはやはり繊維産業のおかげなのか?

江戸時代から明治時代にはかなり栄えた感じの見附の町キラキラ
これからの再興に期待ですねピンクハート

町並み・歴史・神社好きの方にもオススメです♪