修験道場からお城に、長岡の歴史の舞台だった古社

場所・ 新潟県長岡市西蔵王2-6-19 HPあり

創建・ 和銅2年(709) 

竣工・ 平成17年(2005)再建

構造・ 木造 権現造り 木造・石造明神系、両部鳥居

祭神・ 金山毘古命 又倉大神 長岡総社

境内社・ 稲荷神社 正善霊神社

社務所・ あり 各種お祓い 行事 御朱印 日中

最終訪問・ 2018.11

長岡市、中越の総鎮守、市街地の北にあり、中心的な神社です神社
JR(信越本線)北長岡駅の西1キロに鎮座しますキラキラ
「神社明細帳」(明治16年)に「古志郡蔵王村字前野 縣社 兼郷社 金峯神社」とあるそうですルンルン

 

第二鳥居はこじんまり 第一鳥居はかなり大きい


和銅2年(709)に大和国吉野(奈良県吉野)の蔵王権現を古志郡楡原に勧請したという古社ですキラキラ
楡原には現在も蔵王社が祭られているそうです(長岡市岩野外新田の蔵王社)神社

 

紅葉の美しい参道 右側に社務所あり


かつて旧社地の楡原には大伽藍が並び建ち、秋葉三尺坊が修験者として活躍したといいます(栃尾でも活躍していたな)炎

その後、三島郡矢田(長岡市寺泊矢田)に遷ったとされるそうですびっくり
(今、寺泊矢田の神明神社には、蔵王社の金山彦命が合祀されているそうです。)

 

金峯神社 拝殿

 


蔵王権現は、仁治3年(1242)に現在地に遷り、又倉村(長岡市蔵王)の産土神である又倉神社と合併したといいます神社
そして神仏習合の文化がさかえたそうですキラキラ

 

金峯神社 向拝


又倉神社の祭神は、大地主命(おおとこぬしのみこと)、須勢理比売命(すせりひめのみこと)、沼奈川比売命(ぬながわひめのみこと)です(ここでも上越地方のヌナガワ姫が)キラキラ
その後は修験の霊場として栄え、鎮座する地名も又倉村から蔵王村に変わったそうです乙女のトキメキ



信濃川の河川交通が盛んなこの地より川沿いに長く築かれた丘から「長岡」の地名が起こったといいます波
南北朝時代に城下で激しい戦闘が行われ、上杉謙信公は流鏑馬神事に祭馬、鳥毛槍百筋、警固士卒を差し出されたそうです(ここでも上杉謙信公見参)乙女のトキメキ

 

蔵王堂城跡 堀 


江戸時代に堀直寄公は長岡城を築城し蔵王堂城を閉鎖し、門前町を移築しました(現在のJR長岡駅の場所が長岡城)アセアセ
氏子地域は天領とされ、蔵王代官所を設置し、徳川家光公は特に崇敬篤く朱印地300石、玉簾を奉納されました(徳川家まで参上か)キラキラ

 

城跡より見下ろす


明治4年(1871)に神仏分離の政策により権現号を廃して金峯神社と改め、あわせて祭神を金山彦命と定めて今日に至っていますルンルン(なお、祭神を少彦名命とする資料もあったといいます。)
明治に入り、
県内最初の県社に指定されました乙女のトキメキ

 

城跡と神社を結ぶ玉橋 昭和期か


明治40年(1907)に、字灰塚の船玉神社(表筒男命、中筒男命、底筒男命)を合併したそうです神社
(「明細帳」の追記に「船玉神社ヲ金峯神社末社ヘ合併」とある。「末社ヘ合併」の意味はよくわからないとのこと。)



「神社明細帳」は、境内社として前述の又倉神社のほか、八幡神社(誉田別尊)、日枝神社(大山咋命)、秋葉神社(火産霊神)、稲荷神社(豊受比売命)を列挙しますキラキラ
今は境内社が見当たらないので、本社に合併されているのであろうとのことですアセアセ

 

堀直寄公銅像と


明治40年(1907)に社殿が炎上し、大正2年(1913)に再建されたそうですアセアセ
平成15年(2003)には拝殿全焼し、つづいて翌16年(2004)に中越大地震で被災しましたが、平成17年(2005)に拝殿が再建されたので、割と新しいですキラキラ
境内には「蔵王の大ケヤキ」とされる樹齢800年の御神木があります乙女のトキメキ

(2019年まで周辺には公開されていた「欅居荘」という邸宅があったが、閉鎖、行けず残念)



重厚な権現造りの拝殿と、少し離れて建つ本殿があります乙女のトキメキ
大きな道路に面した両部型の第一鳥居は、最後の長岡藩主・牧野家寄進だそうですお父さん


ところで、当地の本来の産土神であった又倉神社は、「神社明細帳」(明治16年)には金峯神社の境内社として記載され、合わせて又倉神社を『延喜式』の「宇奈具志神社」(古志郡六座の一)とする由緒が記録されているそうです神社

又倉神社では「王神祭」と称する神事がおこなわれ、流鏑馬が現在も続いています馬



式内「宇奈具志神社」の候補としては、出雲崎町乙茂の宇奈具志神社もあるそうです神社
いずれにしても、式内社の候補は又倉神社であり、これと合併する以前の蔵王権現(金峯神社)は式内社とはかかわりがないそうですアセアセ



かつてはここに
城があり、長岡の中心地だったのですね乙女のトキメキ
現在の長岡の中心地は、もう少し南に移動して、かつての長岡城のあった場所がJR長岡駅になり、交通の要衝にもなっていますよねおねがい
長岡の歴史は1300年も前からあるんですねびっくり
ここはかなり長く長岡の歴史の中心地だった場所なんですね乙女のトキメキ

 

毘沙門堂 か 蔵王堂 か 観音堂 か 地蔵堂


今回、長岡市街地の神社巡りの中で一番に訪れましたが、一番大きな神社でした神社
時期が11月の土日だったので、紅葉が美しく、七五三などもいてにぎわっていました紅葉
町中にあり、公園ぽい一面もありますが、杜に囲まれてとても雰囲気の良い神社で、境内も広いですラブラブ
かつては神仏習合だったので、今でもお寺も残りますね乙女のトキメキ

 

蔵王堂 か 毘沙門堂 か 観音堂 か 地蔵堂


県内では珍しい!?流鏑馬(やぶさめ)の行事なども見られるということで、貴重なお祭がある神社なのですねびっくり
私が訪れたのがちょうど11月の3日の明治祭と5日の王神祭の間だったので、祭の看板が出ていましたキラキラ
この神社は11月が一番祭が多いようですねルンルン
やはり七五三がたくさん来て、稼ぎ時だからかな?

 

安善寺 庫裏か 明治以降ぽい古い造り


社殿は2005年の再建なので、割と新しくきれいですが、大きく立派な権現造りですキラキラ
中越地震で被災してしまったとのことで、中心的な神社が被災されてしまうと、周囲の氏子の方も心のよりどころが崩れてしまってとても悲しかったと思うので、立派に再建されて良かったです乙女のトキメキ



境内にはいかにも城跡といったような堀と築山が残り、今でも城跡という感じがしますびっくり
藩主の堀さんの銅像もあったので、記念撮影もしましたお父さん
城跡の築山に上ると、周辺の住宅街が少し見下ろせましたキラキラ
他にも境内社に地蔵堂、観音堂、毘沙門堂、代官所跡のような平屋の古い家(寺の庫裏か)など見どころが色々あって、面白かったので、散歩がてらここはオススメですルンルン

 

かつてはこんなに広い社地だった




★「
正善霊神社

妙徳院光次上人を祀ります乙女のトキメキ
妙徳院は栃尾城主・本庄秀綱の娘といわれ堀直寄公の推挙を受け二代将軍・徳川秀忠公に嫁ぎ側室となりましたお母さん
言い伝えによれば秀忠公との間に和子を産んだといいます(徳川和子はのちに後水水尾天皇の女御として入内)お父さん


秀忠公の死後、出家し、妙徳院と名乗り従者を連れ蔵王に一院を設け余生を送ったそうです乙女のトキメキ
幕府とのつながりがあるということは、長岡はけっこう重要な地だったということでしょうね(それで幕末の戊申戦争は幕府側にか)びっくり
きっと、昔から栄えた大きな町だと思うのでラブラブ

★「稲荷神社」 境内社


 

これで長岡市の神社は終了で、グルメ記事の後は見附市になります乙女のトキメキ


神社・神仏習合・歴史好きの方にもおススメです♪

 

*神社のデータは「にいがた百景」というサイトより

 リンクできないのでサイト名を表示