旧日光御成街道 「川口市・鳩ケ谷の宿場町」
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明治以降、陸の孤島で町並残る

場所・ 埼玉県川口市鳩ケ谷本町1-1

電話・ 川口市観光協会 048-228-2111

竣工・ 明治時代以降はてなマーク

構造・ 蔵、木造2階建て

最終訪問・ 2012.12

*TV東京「アド街ック天国」で紹介

埼玉県南部、川口市と合併した鳩ケ谷は家康の江戸への国替えにより発展した町ですアップ
元々は鎌倉街道沿いの寒村に過ぎませんでしたが日光造営に伴いこの街道が将軍社参道となったことから、1636年頃、宿場となり本陣が造られ伝馬、助郷の基地となりましたあし

 

「鳩ケ谷の煉瓦倉庫」 桜町、本町 明治時代築はてなマーク
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さらに見沼用水の整備により、近隣の物資材の集積地となり人口増を続ける江戸への食材の供給地となりましたアップ
そのため鳩ケ谷は幕府直轄の天領となり3万石の町となりましたクラッカー
発展を続ける鳩ケ谷は「市」が興り現在でも「三八の市」が開かれていますべーっだ!

文明開化が始まると鉄道は川口の方を通ってしまい鳩ケ谷は「陸の孤島」となってしまいましたダウン
その後、荒川に橋が架かり平成に入ってからやっと「陸の孤島」から解放されましたニコニコ
明治以降の発展から取り残された結果、90年近くも前の町並みが残る要因になりました音譜

2010年頃までは鳩ケ谷市として存在していましたが、その後周りを取り囲むようになっていた川口市についに吸収されてしまいましたあせる
元は川口市だったこともありこの2つの市の間には並々ならぬ関係があるようですあせる


「旧船津眼科医院」 桜町、本町 大正時代築はてなマーク
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川口市といえばもう荒川の向こうは東京なので他の地方へ旅に行った際など「どこから来たか」と聞かれると埼玉ではなく「東京」と答える方も多いそうですにひひ
やはり目と鼻の先の東京に通う方も多いので、ほとんど東京都民の気持ちなのでしょうビル

私が行ったときは川口市内からすぐに鳩ケ谷地区へと入れたので、どこが市の境目なのかわからず、まあ合併でもおかしくないなあと思いましたひらめき電球
鳩ケ谷地区にはこのときはじめて訪れ、他に旧銭湯などを見学しました(残念ながら廃業ばかり)温泉

この日はちょうど午後から商店街の道でイベントが始まるようで、ギリギリ車で通れる時間でした車
商店街の道沿いには洋館や煉瓦蔵、町家の建物など古い街道沿いの町並みが残り良い町並みだったのでもう少し見れたら良かったなあと思いましたダウン

でも埼玉南部は新潟から300キロくらいあるので中々訪れるチャンスがなく、このときも親戚の用事で2年越しにやっと来れたのでした汗

町家・街道・洋館好きの方にもオススメです(^^♪