★サッカー王国・埼玉にサッカーを伝えた学校★
場所・ 埼玉県さいたま市緑区三室2458
竣工・ 明治11年(1878)
構造・ 鉄筋コンクリート造り2階建て
開館・ 9~17時 無料
最終訪問・ 2010.01
*BS「百年名家」で紹介
埼玉県南部の県庁所在地、さいたま市緑区にある洋館の遺構です
さいたま市浦和博物館で平成16年(2004)、秋、「浦和サッカーの100人」特別展が開かれました
埼玉にサッカーを導入したのが県師範学校であり、鳳翔閣と呼ばれた同校校舎中枢部の外観を復元したのが博物館という縁で実現しました
「鳳翔閣」 1階 玄関 明治11年(1878)築 復元
現在の埼玉会館の場所に建てられた鳳翔閣は「歴史の舞台」にもなりました
完成翌年の明治12年(1897)には第一回県議会の仮議場として使われ、同18年(1875)年に来校した森有礼・初代文部大臣の師範教育の演説は教育史に残るものでした
また、数多くの人材がここから巣立ち、「埼玉県教育のシンボル」ともいわれた同33年(1900)、生徒増で師範学校が移転した後は高等女学校、高等女子師範学校が入り、大正14年(1925)から県立図書館として親しまれましたが、昭和34年(1959)に老朽化のため解体されました
「鳳翔閣」 持ち送り 明治11年(1878)築 復元
英国ビクトリア様式がここまで完璧に1878年でできるなんて
鳳翔閣は明治11(1878)年の建築ですが、昭和34(1959)年に解体され、その解体材の一部を生かして博物館が完成したのは同47(1972)年
かつては左右対称に全長67mもあった校舎は、玄関と階上バルコニーを有する中央部分(胴体という)のみとなり、その内部も木造から鉄筋コンクリート造りにと、手が加えられました
しかし、「白亜の明治」といわれた胴体の外観はほぼ忠実に復元
バルコニーの柱、柱頭の飾り、階段の親柱、手すりなどには、解体の後も保管されていた古材が生かされています
「鳳翔閣」 2階バルコニーオーダーの柱頭飾り
3本もオーダーがあるということはかなり格式が高い
鳳翔閣の名付け親は当時の太政大臣・三条実美
開校2か月前の明治11(1878)年8月、明治天皇の東海北陸巡幸第一日の宿泊所に当てられたことがきっかけですが、不思議なことにそれほどの名建築でありながら、設計者は今もって不明です(後ほど判明)
復元に際しての調査で、バルコニーを支える円柱や柱頭、玄関ひさしの形と組み合わせが、19世紀初めの典型的な英国ビクトリア様式であることを確認
さらに、擬洋風でなく、「本格的な建築」であったことも判明しました
「鳳翔閣」 2階 アーチ型の窓 明治11年(1878)築
日本の洋風建築の父、英国人建築家・ジョサイア・コンドルの来日が明治10(1877)年
それからわずか1年
日本人の設計だとしたら、「驚異的な作品というほかない」と調査報告は結んでいるそうです
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現在のサッカー王国・埼玉はここから始まったのですね
旦那も子供の頃はサッカーをしていて、今でもサッカーを観るのが大好きです(野球の巨人も大好き)
新潟でも仲間を見つけ(性格が良いのでどこでも友人ができて良いなあ)、毎週フットサルをしているようです
「鳳翔閣」 2階シャンデリア 明治11年(1878)築
そんな埼玉サッカー発祥の地は復元された立派な洋館でした
車寄せとバルコニーが格式高い感じで良いですね
内部は資料館になっていますが、基本的には自分は建築を見学しました
だいぶ縮小されたのが残念ですが、かなりレベルの高い洋館なようで見れて良かったです
いつかは誰の設計か判明すると良いと思います(百年名家で見たら判明したらしい)
この日はこれで、さいたま市の洋館巡りは終わりで、この後は三郷のIKEAまで行きました(例のパスタランチも堪能)
最寄りのIKEAは家から300キロ、、、新潟にも土地はあるのだから来ないかなあ、フロアだけでも来れば良いのに
(コストコもアウトレットも皆無)
洋館・サッカー・資料館好きの方にもオススメです(^^♪