★佐渡金山が天領だったために設置された官庁★
場所・ 新潟県佐渡市広間町1-1
電話・ 0259-74-2201
設置・ 江戸時代(1601)慶長6年
竣工・ 復元部分もあるが煉瓦部分は明治
佐渡奉行所跡は平成13年の復元
構造・ 木造平屋建て
料金・ 500円 8時45分~17時
最終訪問・ 2010.07 佐渡市は何十回も
*国・史跡 *市・文化財
日本海に浮かぶ佐渡島の西部にある相川地区、佐渡金山の遺構です
佐渡奉行(さどぶぎょう)は、江戸時代の官職の一つです
江戸から派遣された佐渡奉行が勤務した、佐渡の中心となる当時の官庁です
島の北西部という端っこにありながら、やはり佐渡金山で賑わっていた場所に官庁が置かれたのでしょうね
老中配下の遠国奉行の一つで、関ヶ原の戦いを経て佐渡が上杉氏から幕府の支配下となった慶長6年(1601年)に設置されました
当初は佐渡代官と呼ばれており、正式に佐渡奉行と名乗ったのは、元和4年(1618年)着任の鎮目惟明、竹村嘉理の代からです
寛永12年(1635年)~明暦2年(1656年)までの一時期は勘定奉行が兼任しました
正徳2年(1712年)以降は、定員が基本的に2名となります
世界遺産暫定候補 「佐渡奉行所跡」 明治21年
昭和17年に全焼したので、現在のは平成13年復元
芙蓉の間席で1000石高、役料は1500俵、役扶持100人扶持でした
慶応3年(1867年)には禄高にかかわらず3000両の役金が支給されました
「旧相川裁判所の煉瓦塀」 明治21年
京町通りへと続く風情のある当時のメイン通り
佐渡奉行は佐渡島内の民政を管轄する町奉行と、長安期に開発された佐渡金山をはじめとする金銀山の経営を管轄する山奉行がありました
他にも佐渡の海上警衛、年貢の取立を役務とし、幕末には外国船の監視も行っています
構内には小判の吹分所もあれば、金鉱の置き場「御金蔵」もあり、その他の治金設備がありました
「旧相川裁判所の煉瓦塀」 明治21年
現在は背後に団地や民家が建つ
配下には組頭2人、広間役7~8人でした
以下、定役、並役、使役、同心(70人)、牢守、水主、与力(30騎)など300人もいました
旧相川裁判所の周りにはハイカラな煉瓦塀が
陣屋は当初は鳴子に設置されていたましが、大久保長安のころに相川(現在の新潟県佐渡市相川広間町(旧相川町))に移転され佐渡奉行所(相川陣屋、国の史跡「佐渡金山遺跡」の一部)となります
また、島内5(後に4)か所に代官所を設置しました
*
佐渡金山の京町通りに続く道沿いにあります
ここは小高い丘になっており日本海を見下ろせる路地もあります
そんな路地には明治時代の煉瓦塀があり、その中に佐渡奉行所はあります
なんだか外観だけ見ると赤い屋根瓦のせいか、またここでも山陰ぽく感じました
今では静かな住宅街の中にあるので、見学の際は静かにマナー良くお願いします
ここが当時は佐渡の中心地であり、江戸と直接つながっていたなんて
「時鐘と鐘楼」(1713) 味噌屋町
背後に旧相川裁判所、この先に京町通りがある 国・史跡
この佐渡奉行の佐渡出身の息子が函館に父の転勤で付いて行き、函館で外国人教師に出会い語学が堪能になりました
これは幕末の時代の話で、その後、彼は勝海舟に会い語学の堪能振りを驚かれました
その語学力を買われ、岩倉具視などと一緒に世界を一周する視察旅行にも同行しました
名前は忘れてしまったのですが佐渡島からそんなすごい人物が出たとは、、、といっても役人の子供なのでね、元は江戸から派遣された人の子供なだけで佐渡にルーツがあるわけではありませんが
ただ佐渡で生まれたというだけでね
現在でも語学ができるというのはすごいことですが、それが幕末となるとさらにすごいことですね
歴史・観光・建物好きの方にもオススメです(^^♪