列車を乗り継いで下車した近江八幡市どんな町。中心部は東西2キロ四方のこじんまりした町割り人口約8万。町をつくった人物は戦国時代中期の武将「豊臣秀次」太閤秀吉の甥で当初子がなかった秀吉の後継者(関白秀次)と目されていたが、側室よどが子を成した(秀頼)その後疎まれ後継者をなかったことにされ、その理不尽さから自棄になり辺りを乱暴狼藉。天下人おじ秀吉から高野山に蟄居命じられ、その後切腹享年27歳。側近40数名京都三条瓦に叩たっ殺され、殺生関白となり畜生塚まで貶めらた。

若き秀次が18歳の時安土から近江八幡に入府、五番目の町割りをつくり、町の背後標高約270mの三上高台に城を築城。18歳~23歳までのたった5年間の後世に残る偉業を成した。昨年NHK大河ドラマにも若き豊臣秀次が登場したらしいが、ほとんどみなかったので、八幡城址を踏んで知った。当記事、見てきたような記事になったが、嘘でもないしだいたい当たっているだろう。あの重量のある大量の石垣を山上にあげて石組築城の労苦、先人のパワーに驚愕したもんだ。想像は坂上を丸太を並べて縄ロープで引っ張り上げたのか、それもたった5年間で。

 

 

秀次27歳切腹の3年後おじ秀吉61歳で老衰死。その2年後1600年徳川幕府300年の決定打の関ケ原合戦が勃発。秀吉によって三河から関東江戸に地に追いやられた家康が戦国時代の終焉を告げる厭離穢土欣求浄土を成し遂げた。

 

参考 家康没73歳 光秀54歳 信長47歳  小早川秀秋20歳⇒西軍から東軍に寝返り 病死・狂い死まで

 

ロープウェイ頂上駅の先いきなり 石垣

今やどこでも観光地にあ恋人の聖地もどき

そそるものがない

 

 

緑に埋もれる 古の石垣にそそられる

角度がしっかり出ている 堅牢

 

琵琶湖が望める 西の丸空間 人が散見されたが

みんなロープウェイ

 

眼下の琵琶湖 この日本一の琵琶湖をみず 一生を送る人も

いるだろう 数年前 琵琶湖を軽四輪で半周したことがある

園児たちが上まであがってきた まさかと驚愕 子供の力は無限か

 

続く