どうやら、たかいレベルのずのう・のうりょく・さいのう・知能をもっている、天才・秀才であっても、もくてき・もんだい意識をもっていなければ、そのことにたいして気がつかず、見おとしてしまうケースがおおいのかもしれない。

 

 たとえば、ニンゲンであれば、ダレでも運・不運というものがある。「うまれてから死ぬまでのあいだ、ずっと幸運がつづく」というタイプのニンゲンなど、まずそんざいしていない。

 

 つまり、ニンゲンであれば、いつかはキケン・もんだい・トラブル・モメごとに巻きこまれてしまい、不運・不幸な状態に陥ってしまうかとおもわれる。

 

 そして、そういうときに、じぶんにたいしてキケン・もんだい・トラブル・モメごとを、たくさんもちこんできたという「悪縁」のことを、チャントにんしきし、いしきをしていなければ、その悪縁のそんざい自体について、まったく気がつかないのかもしれない。

 

 ということであれば、そのニンゲンは、「じぶんのもっている悪縁をけずり、つぶし、消去しなければならない」ということを、まったくかんがえないことになる。

 

 そのために、キケン・もんだい・トラブル・モメごとを、たくさんもちこんできるという「悪縁」を、いつまで経ってもつぶせず、けずれず、消去することができない。

 

 そして、あたりまえのことではあるのだが、りゆう・げんいんが、そのままのカタチでのこっているのであれば、また似たようなジケン・できごと・現象・事象が発生することになる。

 

 つまり、キケン・もんだい・トラブル・モメごとなど、ワルイ成果・結果・効果をもたらすことが、何度もくりかえされてしまいかねない。

 

 こういう状態になってしまえば、そのニンゲンは、おそらく、不運・不幸な状態というものが、ながい期間にわたってつづいてしまいかねない。それこそ、何年間どころか、何十年間にもわたって。

 

 スガタ・カタチ・色・実体がない、悪縁のそんざいに気がついて、にんしきし、はあくする。こういうことは、「みえないモノをみる」ということになる。

 

 そして、みえないモノをみるためには、やはり、注意ぶかくしなければならない。不注意であれば、みえるワケがない。

 

 そのために、やはり、もくてき・もんだい意識というものを、フダンから、つよくもたなければならないようである。