それほどアタマがよくないフツウのニンゲンであっても、フダンから、じぶんの運の良し悪しについて、注意ぶかくし、気にかけているのであれば、しぜんと、「どうやら今のじぶんは、運が良いかもしれない」だとか、「今は運がワルイだろう」などと、かんがえるようになってくる。
そして、「今は運がワルイから、なにもしないでおこう」だとか、「今は運が良いから、うごいてもよさそうだ」と、かんがえ、はんだんし、けつだん・意思けっていし、ものごとをおこなうことになりそうである。
あたりまえのことではあるのだが、なにをおこなうにしても、じぜんのだんかいで、チャント調査し、じゅんびし、だんどり・けいかくをかんがえるべきである。
だがしかし、イザじっさいに、ソレをおこなおうとするときに、「今はコレをおこなうべき、タイミングなのかどうか」ということが、気になってくるはずである。
そして、どうやら「タイミングが良い」ということは、いいかたを変えれば、「運が良い状態」ということかとおもわれる。運が良ければ、ソレをおこなったときに、勝利・成功をする確率がたかくなる。
ぎゃくにいえば、どれほどスバラシイけいかく・案・企画であっても、運がワルイ状態であれば、ソレはミス・しっぱい・はいぼくし、ワルイ結果・成果・状態をまねくかとおもわれる。
ということであれば、やはり、「今のじぶんは、はたして運が良いのか、ワルイのか」ということが、とても気になってくる。
こういう、「今のじぶんの運の良し悪し」というものを、はんだんする基準・参考として、「じぶんの身のまわりで、どういうことがおきているのか」というモノがある。
たとえば、些細でちいさなことであっても、じぶんにとってプラスの良いことが、うれしいことが、たくさんおきているのであれば、ソレは、「運が良い」という状態といえそうである。
ぎゃくに、じぶんの身のまわりで、不快・不ユカイになり、つごうが悪く、イヤにかんじることが、たくさんおきているのであれば、ソレは「運がワルイ」という状態になる。
たとえば、「シゴトにおいて、理不尽なりゆうでのクレームがはいった」、
「ダレかに会おうとして、でかけようとしたら、とつぜん予想外のジケン・できごとがあり、会いにいけなくなった」、
「ダンボールや紙などで、手先を切ってしまい血がでた」、
「クルマやスマホなど、身のまわりの機器や器具の調子がワルイ」
などなど、些細でちいさなことであるのだが、こういうことが、何度も立てつづけに起こっているのであれば、ソレは、「運がワルイ」という状態かとおもわれる。
こういう、ちいさなワルイことが、立てつづけにおきているのならば、「今このタイミングで、コレをおこなってはダメだ」とかんがえたり、さらにいえば、「コレをおこなうとマズイかもしれない。ないようを検討しなおそう。ないようを変えるべきかも」と、かんがえるべきかもしれない。