あたりまえのことではあるのだが、ニンゲンは、フダンから、つよくいしきしたり、かんがえると、そのそんざいにたいして気がつきやすくなる。たとえば、道ばたにある小石・草花は、いしきし、にんしきすると、そのそんざいにたいして気がつく。

 

 ぎゃくにいえば、チャントいしきしていないと、たとえ目に映り、視界にはいったとしても、そのスガタ・カタチ・かず・色などを、イチイチおぼえていないはずである。

 

 どうやらニンゲンは、フダンからかんがえ、いしきしていることであれば、ソレにかんれんしたこと、じじつ・情報などが、しぜんと、目や耳にたいして、はいってくるようである。

 

 そして、このいしき・かんがえが、つよければつよいほど、かんれんした情報・じじつなどを、ビンカンに察知し、そのそんざいにたいして気がつくようである。コレは、いいかたを変えれば、「もくてき・もんだい意識がつよい」ということであろう。

 

 もくてき・もんだい意識がつよいのであれば、どれほど些細でちいさなことであっても、そのもくてきの達せい・もんだいのかいけつに役にたつことがあれば、ソレにたいして、気がつきやすくなる。それこそ、道ばたのちいさな小石・草花にたいして気がつくように。

 

 ということであれば、もしかしたら、こういうタイプのニンゲンは、つまり、もくてき・もんだい意識のつよいニンゲンは、スガタ・カタチ・色・実体のないモノであっても、そのそんざいにたいして、気がつくことがあるのかもしれない。たとえば、運や縁などであっても。

 

 じぶんが今げんざい、どういう運の状態・ながれなのか、どういう縁があるのか。こういうことは、目でみることはできないし、手でさわることもできない。なにせ、運も縁もスガタ・カタチ・色・実体がないのだから。

 

 そのために、ほとんどのニンゲンは、じぶんの今げんざいの運や縁の状態について、サッパリわからないはずである。

 

 今のじぶんが、「運がワルイのか、それとも、運が良いのか」であったり、「良い縁が身近にあるのか、それとも、ワルイ縁があるのか」など、こういうことは、たくさんのニンゲンが気になることである。

 

 だがしかし、コレをハッキリとにんしきし、はあくすることはできない。なにせ、スガタ・カタチ・色・実体がないのだから。

 

 とはいっても、こういうことがわからないかぎり、ニンゲンは、おなじミス・しっぱい・はいぼくをくりかえしたり、ドンドン状況が悪化してしまい、不運・不幸な状態になってしまう。

 

 ということであれば、やはり、なんとかして、じぶんの今げんざいの運と縁の状態について知り、はあくし、りかいしなければならない。

 

 そのためには、あたりまえのことではあるのだが、フダンから注意して、気にかけるしかないのかもしれない。

 

 うまれつき霊能力・超能力があるような、一部のとくしゅなタイプのニンゲンは例外的なケースとして、フツウのニンゲンが、じぶんの運と縁の状態について知り、はあくし、りかいするためには、それこそ、フダンからの注意やココロがけしかなさそうである。