違和感スッキリ個人セッション 池袋 -6ページ目

違和感スッキリ個人セッション 池袋

あなたは日々様々な人間関係で苦しんだり、傷ついたりしているのではないでしょうか。そんな心の優しいあなたに、人間関係を劇的に改善し、心と身体を開放するセッションを提供させていただきます。

最後は、「子供」である。

認識できない心の部分だが、日常生活では物事の決め手となる役割を担っている。

もちろん、無意識領域にしか存在しない。

もしこれが意識領域にいたら、のべつ幕なしに気まずい思いをすることだろう。

本物の子供のように、快楽志向が強く、自己中心的、依存的で無責任、愛嬌はあるが、非論理的・非理性的なことが多い。

しかし、本物の子供と違うのは、この子供が四六時中怒っていることだ。

自分では弱くて劣っていると思っていて、「だって、まだ子供だもん」という調子でいるが、

その実、手強い。

親とは衝突しどうしで、この闘いが心身症にとってきわめて重要な意味をもつ。
善良主義者には、人を喜ばせたい、いい人でありたい、感じのいい人でありたいという強い衝動がある。

人との衝突を避け、問題の仲裁役になり、常に周りに気を遣い、たとえ自己犠牲を強いられてもいつでも人の手助けをしようと心掛ける。

人から好かれたいという気持ちが非常に強く、当然、嫌われることを恐れている。

完全主義者は勤勉でまじめ、責任感があり、業績志向・成功志向が強く、心配性である。

極端な完全主義者になると、自分の専門分野で傑出するだけでは飽き足らず、責め立てられるようにして新たな努力目標を捜し求める。

「大人」も意識の心、無意識の心の双方で機能する。

仲裁役であり、指導者であり、船長である。

最善の活動状態を維持し、外的・内的危険から当人を保護するのがその役目だ。

無意識領域の大人はある特定の状況に対して反射的に反応することがある。

したがってその決定は、意識領域の判断基準に照らすと必ずしも論理的・理性的ではない。

無意識の精神機能に見られるこの非論理性は、心身症を理解する上で非常に重要だ。

感情の領域はふたつの心に分かれている。

無意識が意識より優勢になる場合は稀ではない。

TMSとその等価疾患は、その無意識が優勢になった状態の一例だ。

そういうわけで、心理学界や精神医学界についても当然いえることだが、フロイトがいなかったら、

この疾患についてもいまだに真相を模索しつづけていたことだろうと思う。

もしフロイトが無意識への抑圧という概念を発表していなかったら、この症状は「神経」のせいにでもせざるをえず、

治療をどう進めたらいいのか皆目見当もつかなかったことだろう。

フロイトは感情的な心には3つの要素があると考えた。

それらは「超自我」「自我」「イド」と翻訳された。

交流分析ではこれらを「親」「大人」「子供」としている。

わたしの理論を教えるには、後者が望ましいと思う。

「親」というのは、ことの善悪や、望ましい振る舞い、道徳的・倫理的な行為を教える心の部分である。

この親は意識の心にも無意識の心にも住んでいて、心因性の身体疾患においてきわめて重要な役割を果たしている。

良心と同義であり、完全主義者やわたしのいう「善良主義者」を育てようとする。