人生の中で忘れられない日は必ずありますが、私にとって最も忘れられない日の一つが2001年9月11日です。


アメリカ同時多発テロがあった日です。


あれから22年が経とうとしていますが、私はあの日アメリカで見た9月11日、その後のアメリカの混乱からイラク戦争に突入するまで、テロによって変化するアメリカという国を見てきました。


もう22年も経つのかと思いましたが、いまだに私はあの日のことを鮮明に覚えています。


2001年9月11日、私は引っ越したばかりのカリフォルニアの地方のアパートで目覚めました。

当時スマホもネットもない家、テレビも勿論ありません。私が朝起きた頃はすでにテロは起きていたのですが、そんなことを知る由もない状況でした。

9月11日は火曜日で当時通っていた大学附属の語学学校の新学期が始まったばかりだったのを覚えています。

いつものように学校に登校したのですが、教室に着いたらクラスメートからNYの WTCに飛行機が衝突した事故があったと教えてもらいました。

それが私が初めて聞いたテロの一報でした。


1限目が終わり提出物を持って学校のオフィスに行った際、オフィスにあるテレビを見たらWTCに飛行機が突っ込む様子、そしてその後WTCが爆発して倒壊する映像が流れていました。

その瞬間、直感でこれは事故ではないと感じました。


ちなみにカリフォルニアはNYとの時差が3時間あり、私がテロの情報を聞いた際にはすでにWTCは崩壊していました。そのためテレビの映像は飛行機が突っ込む映像とWTCが崩壊する映像が繰り返し流れていました。


学校の先生達からこれはテロであり攻撃だと言われて、これは大変なことが起きていると実感しました。


その後2時限目が始まったのですが、始まって10分ほど経ったら語学学校の校長が教室にやってきて、大学も攻撃の対象になる可能性があるから緊急事態宣言発令で全員帰宅命令が出たとのことが伝えられました。


その後クラスメートとなぜか閉鎖されていない学校のカフェテリアでランチを取りながらテレビで繰り返し流されるテロの映像をただ呆然と見ていました。

誰も言葉を発することもなく、只々皆黙ってテレビで流れる今まで見たことない映像に釘づけになっていました。


ランチ後に友人に日本に無事を伝えたほうがいいと言われて図書館でメールを確認したら案の定日本から沢山メールが届いていました。

カリフォルニアはテロの被害がありませんでしたが、家族や友人からの安否確認のメールがありとりあえず無事を伝えアパートに帰ることにしましたが、その時の光景が実は一番忘れられないです。


大学がある場所は街の中でも交通量が多く人通りも多いのですが、午後1時を回った通常なら車も人も多い大学前の通りはほぼ車がいないし歩いているのも私だけ。

とにかく街が夜中のように閑散としていました。


それ以外で通常と違ったのは、一定間隔で重装備の軍人が配備され街全体が厳戒態勢になっていたこと。


大学からアパートまで20分程度の距離でしたが、すれ違った人はゼロ、見かけた車は片手で数えられるくらい、ただ街が静かでした。


本当に自分以外の街から消えてしまったような、映画や漫画であるような誰もいない光景が物凄く不気味でした。


その後帰宅してこれからどうなるのかと思い一人で色々考えたのですが何も答えは出ず、同じアパートに住んでる友人の家に転がり込んでずっとテレビを見ていたのを覚えています。


その後いろいろな情報が錯綜して変な噂やデマも流れました。カリフォルニアもターゲットになっている、まだ着陸してないハイジャックされた飛行機がいる、国立公園や観光地も狙われているなど色々なデマが流れていました。


夜になり大学の緊急事態宣言は解除されましたが、内心皆今後どうなるのか不安でした。


そんな私の2001年9月11日でした。


毎年9月11日になるとあの閑散としているけど厳戒態勢の街の光景が思い出されます。


アメリカ同時多発テロで日本人の方も亡くなられています。

遺族の方が書かれた手記を読ませていただきましたが、共通して遺族の方々が訴えているのは、一瞬にして奪われた日常は二度と戻らないこと、戦争やテロの被害者はいつも罪のない一般人でそれは今も変わらず続いていること、いつになったらこのような殺戮行為がなくなるのか、色々考えさせられるものばかりです。


9月11日のテロの後、アメリカはイラク戦争に突入していくのですが、それをオンタイムでアメリカで見ていた私はテロが起き、そのまま戦争になり殺戮は繰り返されているのだなと実感しました。


そんな9月11日です。


きっとこれからも死ぬまでこの日のことは忘れない、いや忘れられないのだろうと私は思っています。


長々と書きましたが、テロで亡くなられた方のご冥福をお祈りすると共にこれ以上テロや戦争の殺戮行為が進まないことを祈っています。