流山を歩く | 今ここに生きる理由がきっとある

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しばらくアメブロ開いてなくて、久しぶりに皆さんのブログを回ってたら


京都と会津行く人多すぎ!!  るろ剣みんな観てる!!


びっくりした(=◇=;)



で、わたしは


新選組関連未踏の地、流山へやっと行ってきました。



残念ながら北総新選組の方々はいらっしゃらなかった(TωT)

旗が可愛い。



流山は近藤さんとの永遠の別れの地


甲州勝沼で敗走した甲陽鎮撫隊は五兵衛新田(現・足立区綾瀬)で隊士募集を行い、五兵衛新田からここ流山に移動し再起をはかります。


本陣として使われたのが永岡三郎衛さんが営む『鴻池』という屋号の造り酒屋




長岡屋といのは俗称です


陣屋からまっすぐ行くと、すぐに利根川に出ます。


利根川に出たら、右側へ進むと 矢河原の渡し(やっからのわたし)です。


4月3日昼。新政府軍が本陣を包囲します。


最初、近藤さんは切腹しようとしますが、土方さんの説得により

『土方ノ曰 此処ニ割腹スルハ犬死ナリ、運ヲ天ニマカセ板橋総督府ニ出頭シ、飽ク迄鎮撫隊ヲ主張シ説破スルコソ得策ナラン』 by近藤芳助

大久保大和の変名のまま出頭。

近藤さんとお小姓の野村利三郎と村上三郎の3人は、ここから利根川を越え越谷本陣へ。

(村上三郎は途中で流山に引き返してます)


近藤さんが見た景色ではないと思うけど


越谷本陣から板橋本陣へ連行された近藤さんは助命嘆願の効果もなく、御陵衛士だった清原清と加納鷲尾により大久保大和の正体が露見。


4月25日斬首されます。 35歳の若さでした。


流山の時点で大久保大和は新選組の近藤さんじゃないの?っていうのは薄々気付かれていました。

新政府軍の中にいた彦根藩の渡辺九郎左衛門が京都で一度、会議で会っていたのです。

一度しか会っていないので、確信が持てなかったんでしょう。


近藤さんって新選組で何してたのかよく分からなかったりしますよね。(←わたしだけか?!)

永井尚志さんとか好きな人の方が、政治家としての近藤さんをよく知ってて、会議の場での近藤さんの発言力は相当なものだったとか聞くと、驚いてしまいます。


生きていたら、いい政治家になっていたのかもしれないです。


斬首された理由も思いっきり、こじつけですし。 徳川家(幕府ではない)存続の為に捨て駒にされたとしか思えないです。



矢河原から左方向へ1.3K歩くと丹後の渡です


うちの大将は駕籠に乗っての進軍です。

自転車がハイスピードで走っているので何かあったら嫌だし、アスファルトが暑いので。


なかなか良いウォーキングです。


丹後の渡し


新選組隊士たちが五兵衛新田から流山に入ったところがここです。


景色微妙・・・


丹後の渡しから流山に入った新選組隊士たちは長岡屋を本陣とし、光明院、流山寺に分宿します。



隊士ルートを歩いてみます。


流山寺(頂き画像。写真撮らなかった)

近代的でした・・・


光明院


一茶と新選組

ここで洋式調練もしていたのでしょうか。  


いきなり、武装した兵士が200人もやって来たのだから怖かったでしょうね。



新選組とは関係ないけど、赤城神社




隊士ルートを歩いた後は本陣に戻ります。


コスモスと曼珠沙華が綺麗でしたラブラブ


陣屋の隣がお土産屋さんなので、みりん買いました音譜 
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ランチはウナギが食べたかったので柳屋へ行ったのですが、予約でいっぱいで入れず


じゃぁ、フレンチでブラッセリーしんかへ。が、ここも入れず


木の実に行ったらドラマの撮影やってて1時半から入れますと言われたので、それまで待って~



木の実ではプリンが食べたかったんだけど、ランチになっちゃったので食べられずあせるあせる




アド街効果なのか!? どこも混んでました。丁子屋も行列出来てたし。


もうちょっと落ち着いでから行った方がいいですね~。


おしまい。