長州旅行☆マスジに会いに行く | 今ここに生きる理由がきっとある

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 5月1日。 朝⑦時。大雨の中羽田を出発!!


先に長州入りしてるアメ友さん情報では、雨は降ってないってことで安心。


まず向かったのはマスジの生誕地の鋳銭司へ。


マスジこと大村益次郎といえば靖国神社にどどーんと立っているこの方

上野を睨み付けているとかいないとか。


鋳銭司とははてなマーク 平安時代、貨幣鋳造所があったことからこの地名がつきました。



案内板が結構可愛かった。


ここにはマスジと奥様の琴子さんが眠っていらっしゃいます。

ちなみにこれはお墓ではありません。お墓の案内の碑です。


大村益次郎はもともと村田蔵六という名前で農業をやりながら医者をやっていた家の子。

超簡単な履歴書はこんな感じ


弘化3年:21歳、適塾に入学。

嘉永2年:24歳、塾頭。

嘉永3年:25歳、塾を辞め、鋳銭司で開業医に。

嘉永6年:28歳、宇和島藩に出仕。←藩主伊達宗城公から『蒸気船つくって』とオネダリされ完成させる。

安政3年:31歳、江戸で塾を開く。

万延元年:35歳、長州藩士になる。

慶応元年:40歳、村田蔵六から大村益次郎に改名

慶応2年:41歳、四境戦争(第二次長州征伐)で石州口参謀。

明治元年:43歳、上野で彰義隊討伐

明治2年:44歳、京都で遭難。大阪で死去 


ここで気付いたのですが、久坂玄瑞くんのお兄さんの玄機さんが適塾で塾頭やってたのが嘉永元年。

ってことは、マスジって玄機さんに習ってたんだ!!  

久坂くんはマスジが江戸で開いていた塾に通ってたから、久坂くんが知らないお兄さんの話とか聞かせてもらってたりして。 あー、でもマスジの性格からして完全スルーの可能性もあるか。



近くには大村神社があります。


大村神社の隣には立派な建物の鋳銭司郷土館

入館料が100円っていうのに驚き。


マスジが使っていたものが展示されています。

数学のお勉強ノート。代数ですね


桂さんからマスジへの手紙。 内容は長州藩へのスカウト。


オランダ語の辞書。 マスジが書き写したもの


任兵部大輔というのは兵部省(軍制を司る機関)の最高地位

などなど。 結構たくさん展示物がありました。


マスジの生涯がよく分かる手作りのパネルもあって面白かった~。


ここで偶然、来年の大河の製作に携わっている方にお会いしました。

きっと観光客はみんな萩に行くんでしょうね~とおっしゃってましたが。


まぁ。そうなるよね。