討ち入りです② | 今ここに生きる理由がきっとある

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なんとか討ち入りが済み、いっしー隊も休憩に入ります。


討ち入り途中で大石内蔵助さん(仮)が美味しいですよ~音譜と教えてくれたちゃんこ巴舃


討ち入り後でも、快く案内してくれました。


日替わりちゃんこをいただきました。


鳥だんごです。 大食いな、いっしー隊長は『ごはん少ないなー』なんて思ってしまった。

ちゃんこは美味しくて、ゆずのシャーベットがデザートについてきて、満足満足。


その後、やっぱり物足りなくてワッフル食べたら胃が痛くなったさ。



せっかく討ち入りしたんだから、引き上げの地の泉岳寺まで行くことにしました。


赤穂浪士たちは吉良邸から泉岳寺まで2~4時間かけて歩いて来たらしいけど、現代は地下鉄という便利な乗り物があるので楽々移動です。

ファンは歩くみたいですけど。



その昔、赤穂義士にあやかろうと考えていた男子3人組がいました。


嘉永4年(1851年)の事。


吉田松陰&宮部鼎蔵&江帾五郎の3人は東北への旅立ちは赤穂浪士討ち入りの日と決めていました。


15日に泉岳寺で待ち合わの予定だったのですが、松陰先生だけ旅行の許可書が手元に届いていなかったため、脱藩して出発することになってしまいます。

宮部さん、江帾さんに迷惑が掛からないよう、1日早く出発した松陰先生でした・・・あせる


宮部さんと江帾さんはちゃんと、ここに来てお墓参りをして出発しました。



で、 着いたー・・・


想像していた通りの人ビックリマークビックリマーク!! 


お墓なんて、ここはディズニーラ○ドかっていうくらいの列が出来ていたので、諦めました。


赤穂義士記念館に入ってきました。

義士たちが身に付けてたグッズが豊富で、面白かったです。 山鹿素行の書に『うぉぉぉ~~~先生の先生じゃん!!』と、テンション上がりました。 結局そこ。 釡次郎さんの書もあったし。←200年記念に書いたとか。


木像館も入ってきたんですが、わたしの右衛門七が居なかった・・・わたしの右衛門七~あせる

今日だけの特別展示で神崎与五郎の切腹の短刀が特別に展示してありました。


そんな感じで、付け焼刃にもほどがあるだろパンチ!にわか忠臣蔵ファンのざっくりレポ終了です!!