討ち入りです① | 今ここに生きる理由がきっとある

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墨田区のツアーに参加してきましたビックリマーク


忠臣蔵ゆかりの両国を歩く

手作り感溢れる冊子とイヤホンガイドを渡され、いざ討ち入りへ出発でーすパー



①本所松坂町跡の碑

昭和4年、町名が両国に変わることになり、由緒ある本所松坂町の名を惜しんで建てられました。


②回向院

討ち入り後、休息を頼んだのですが入れてもらえませんでした。


これには理由があって、討ち入りが終わって回向院に着いたのが午前5時30分頃。

当時、夜明け前にお寺を開けることは幕令で禁止されていたんだそうです。



当時の回向院は今の敷地よりずっと広くて、こっち側に門があったそうです。


③大高源五の句碑 『日の恩や忽ちくだく厚氷』

両国橋のたもとにあります。

『我が雪と思えばかろし笠の上』の返歌だそうです。



④討ち入り後、休憩した場所があった広小路

両国橋も最初はこの場所に架かっていました。

両国橋は正式には大橋という名称だったのですが、下総国と武蔵国を結んでいたので両国橋と呼んでいました。

後に下流に新大橋が出来たため両国橋が正式名称になりました。 


回向院で休憩を断られた浪士たちはここで、休息をしました。(←だたの駐車場ですが、妄想すること)

そして舟で泉岳寺まで行こうとしたのですが、船頭さんに断られてしまいます。

船頭さんは、大人数の血だらけでボロボロの浪士たちを乗せてしまったら、後で奉行所に何を言われるか怖かったからじゃないか、って。

確かに・・・。




⑤討ち入りそば跡

討ち入り前に亀田屋というお蕎麦屋さんで吉田忠左衛門親子、原惣右衛門さん数人が『そば切り』を食べたそうです。

それが、このあたり。



⑥一之橋

この橋のある一つ目通りを通って永代橋に向かいました。

この橋のかかる川を竪川といいますが、この川と交差する川に横川があります。

江戸城から見て『たて』『よこ』だったからだそうです。


⑦前原伊助米屋跡

前原伊助が吉良邸の情勢を探るためのお店があったところ。

何でも売るコンビニみたいなお店で評判が良かったとか。

このお店って、吉良邸のすぐ前にあるんですよ!! 

(新選組でいうと、八木邸の前に桝屋があるみたいな。)



梶川与惣兵衛本所奉行所前を通って・・・



吉良邸到着~!!


人がいっぱいで討ち入れない・・・あせるあせる


ちなみにこの吉良邸門の前の道路の『十』のマークの場所で、吉良上野介が討ち取られたらしいです。



なんとか討ち入り出来た


これで、ツアーは終わりですが、いっしー隊は続きます。



ルートはこんな感じです。