下田②☆僕たちはアメリカに行けなかった→結局、投獄 | 今ここに生きる理由がきっとある

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やっとの思いでポーハタン号に着いた松陰先生と金子くん。


が、日本の国法を破って連れて行くことは出来ない( ̄^ ̄)』と断られ、米艦のボートで岸まで送り返されます。


実は、米艦まで乗ってきた小舟には、刀や佐久間象山からもらった手紙などの荷物が入っていたのですが、どこかに流されてしまっていました。


八重の桜でもやってましたが、この時の手紙のせいで佐久間象山は蟄居になってしまうんですよねー


松陰先生たちは、役人に捕縛される前に自首しようと地元の名主・平右衛門宅へ向かい、その後、下田番所で取り調べを受けます。


2人は長命寺というお寺に拘禁されます。


吉田松陰拘禁之跡

現在は長命寺は無く、中央公民館になっていて、かなり大きく目立つ碑が鎮座してますww


数日後、2人は平滑獄に送られます。


ぺルリさんは『偶然、町の牢屋を見つけた。獣の檻のように格子が付いていて、とても見苦しいものだったが、前日の憐れむべき2人がその中にいた』と日本遠征記に書いています。


現在の平滑獄は下田開国博物館の駐車場になってます。碑はありませんでした。
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こちらの博物館にはディアナ号の遺品が展示してあります。


ディアナ号については→こちら から


ここで、ディアナ号の大砲について写真つきで記述があったのでメモしてきました。


靖国神社と三笠公園の大砲は英国のものと判明


(・・・三笠公園のも英国製???)←いっしー、心のツッコミ


ロシア製のものはロマノフ王朝のマークがついている


(うん。これはHELさんが調べてくれたから知ってる)


昭和35年に発掘された52門のディアナ号のものと考えられる


長さ2.198m 口径16.5cm 18世紀末ロシア海軍工廠 モルスコイ・アルゼナル製の32ポンドカノン砲である


写真の大砲は横浜にあるらしいけど、横浜のどこにあるかは書いてなかった・・・


そこが大事だろーが!! ←いっしー、声を大にしてツッコミ



平滑獄の牢獄が再現されていて、松陰先生がいらっしゃいました。


お金が投げ込まれてるんだけど、松陰先生は『このような小銭では牢番へのワイロにもなりません』とか思ってそうww


隣には何故か長州ファイブのパネルがあり、ウケた( ´艸`) 

ここで、5人が見られるなんて・・・全然関係ないのにwww


4月11日 2人は手に鎖、足にはホダ(足かせ)を打たれ、体には縄をかけられ駕籠で江戸へ送られました。



ここまでが、密航ルート。



ここからは密航ルートから外れてしまった史跡を紹介。


まず了仙寺


安政元年(1854年)3月、ぺルリ御一行様が下田へ入港した時応接所となり、同年5月ここでぺルリと林復斎との間で日米下田条約(日米和親条約附録)が結ばれます。


御一行様の休息所にもなっていたので、ここの庭で音楽会(?)なんかも開かれていたみたいです。
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併設されている了仙寺宝物館
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教科書とかテレビで見たことある展示物が多かったです。全部本物。


弁天島から歩いてすぐの場所にある玉泉寺
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安政3年~安政6年(1856年~1859年)まで米国総領事館となり、ハリスと通訳のヒュースケンが滞在してました。
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了仙寺同様、こちらのお寺もぺルリ御一行様の休息所になってました。


ぺルリ艦隊の乗組員とディアナ号の乗組員の墓地があります。


玉泉寺内にあるハリス記念館

ここにはなんと松陰先生の遺品があるのです!!


着ていた袷と使っていた硯、平滑獄の格子。(格子は遺品じゃないけど、見ると無駄にテンションが上がる)


松陰先生が着てた物が残ってるなんてビックリマーク 格子も残しておくなんて、どんだけ愛されてるんだよ!!


ぶっちゃけ、ハリス愛用のグッズとか興味ない(←えあせる



なかなか見どころの多い下田。


時間があればペリーロードとか、古民家巡りもしたかったです汗



長くなったので続く・・・