下田①☆僕たちをアメリカに連れてって! | 今ここに生きる理由がきっとある

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弾丸日帰りツアー@下田 行ってきました!!


嘉永7年3月3日(1854年3月31日)に締結された日米和親条約により、下田と箱館が開かれることとなり、下田は即時開港、箱館は翌年3月開港とされ、下田は日本で最初の開港場となりました。


下田に停泊中だったぺルリ艦隊に乗り込んでアメリカへ密航してやろう!と企てた青年2人・・・

吉田寅二郎(松陰)25歳&弟子の金子重輔24歳



この頃はまだ、松陰と名乗っていないはずなんだけど、史跡全てが『松陰』表記なので合わせます。


最初に立ち寄った三島神社には松陰先生の凛々しい立像がありました。


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昭和17年、当時の首相の近衛文麿さんらが募金を行い、作られたもの。


戦争中だったため、銅製ではなくセメント製。
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意外にも(←失礼)観光客の方がたくさんいらっしゃいました。



ここからは分かりやすく2人の行動に合わせてUPしていきます。



下田へ来た2人が最初に泊まった宿


吉田松陰投宿の跡 岡方屋
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今は下田屋旅館とい名前になっていますが、場所は同じ。


この時、松陰先生は疥癬という皮膚病を患っていて、この病気によく効く蓮台寺温泉に向かいます。


こんな感じですか?
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まさかの壁画っすよ音譜音譜 しかも松陰通りって!! 

なにこの愛されっぷりラブラブ 地元萩にも負けてない愛され方じゃないですか!?

足湯は誰でも無料で入れるようになってます。



駐車場もこんな。
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車を置いて松陰先生が歩いた道を進むと・・・


吉田松陰~湯湯治の跡

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現在は一般の人は入れません。この辺の住民のみ入浴可。


松陰先生はこの共同浴場に入っていた時、近所に住む医者の村山行馬朗さんと知り合い、彼の自宅に泊めてもらうことになります。


この浴場から目と鼻の先に村山行馬朗さん宅があります。 


吉田松陰寓寄処

こちらは当時のままの住居が保存されています。


ガイドさんがいらっしゃるので、詳しいお話が聴けますw

展示物は村山家所有で松陰先生が使っていたもの以外はコピー品です。


松陰先生が使ったグッズたち。
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薬箱は土方さんちにあるものと同じっぽいですね


このお風呂も松陰先生が入りました。 
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家にお風呂があるのに、なぜ村山行馬朗さんは外の共同浴場に入りに行ったのか、というと。


蓮台寺温泉はこの頃、源泉があちこちから湧いていて、少し場所が違うだけで効能に違いがあったので、村山氏はわざわざ、外のお風呂に行ったとのこと。


現在は、一か所の源泉から各家庭に引いているので、どこで入っても効能は一緒だそうです。



この階段を上がった2階(隠れの間)に松陰先生が滞在していました。

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こんな感じです
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隠れの間なので天井が低いです。


ここでぺルリさんに渡す手紙を書いていました。

どこに座ったのかなー、この柱絶対触ったよね!! とテンションが上がります。


正面から見ると平家建てに見えるけど、横から見ると部屋があるのが分かりますね。



松陰先生はここと岡方屋と港を行き来して、ぺルリ艦隊の船に乗り込む機会をうかがっていました。


なんだかんだで、ついに!! 弁天島という島に漁師さんが置きっぱにしていた小舟を勝手に拝借し、ぺルリ艦隊の船のひとつ、ミシシッピ号へ


こんな感じ。
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苦労してたどり着いたミシシッピ号。でもここには漢文の通訳がいないからとポーハタン号へ行けと言われてしまう2人・・・


今は陸続きになっている弁天島。 ここから米艦に向かったのです。
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黒船ーーー
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この船はサスケハナ号


平成の黒船は料金さえ払えば乗せてくれます。
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赤矢印がぺルリ艦隊が通った海路
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もちろん、平成の黒船も通ります。この小島は上の写真でいうと一番左側の小島
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カモメにエサやって、黒船ライフ満喫
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続く( ´艸`)