再訪☆萩② | 今ここに生きる理由がきっとある

今ここに生きる理由がきっとある

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2日目の朝です
今ここに生きる理由がきっとある
ホテルの目の前が海だったんですけど、波の音が気になって全然眠れなかった!!


朝、8時前の菊屋横町
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まだ、誰も歩いていません。


木戸さんちの前も、藩士2名が歩いているだけ。
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2日目のメインイベントは 松下村塾での講義


なんと!! 特別に室内に入っちゃいました音譜
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松陰先生は、真ん中に座っていたわけではなかったようです。
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講義が終わった後は、一坂さんのガイドで旧松本村を散策。


松陰神社を出て、松浦松洞さんの生家の碑を通り過ぎて、遠くに見える瓦屋根の家。
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ここが松陰先生の家だったんです。


ここから下田へ向かっていったそうです。

掴まって、杉家に幽閉の身になって戻ってきてから、松陰神社内にあるあの場所に住んでいたんです。

瓦屋根のお宅は、見学は出来ないのですが、ちゃんと碑が立っているそうです。



吉田稔磨誕生地 (稔丸になってる)
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今では、碑がぽつんと立っているだけですが、実は、残っているものがあるんです。


それがこちら
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稔磨が使っていた井戸が残ってるんです!!


駐車場になってますけどw


参考資料 吉田稔磨さん。


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そして、高杉さんが10年ニートになった時、住んでいた草庵があった場所じゃないかと言われている場所。

いくつか候補はあるようなのですが、そのひとつ。


オレンジ色の場所です。

松陰先生のお墓の下に位置している事。

横の水路は昔は川で、川で魚釣りをしたという記録が残っている事。

ということで、ここだったんじゃないか、と考えられているということです。
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赤い文字の場所は片山東熊の家。今は庭の一部が残っているだけでだそうです。

見学は出来ません。

片山東熊って奇兵隊士だったんですねビックリマーク知りませんでした。



松陰先生誕生の地。団子岩からの眺め
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東光寺の近くにあるこの道。
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この道の奥に吉田稔磨の妹さん(フサ)のお墓があります。

稔磨はとってもフサを可愛がっていたそうです。

稔磨が24歳で池田屋事件で亡くなった時、彼女はまだ13歳でした。


「桜山ちるとみしまの夢さめて、しのぶねざめに露そこほるゝ」


稔磨が下関の桜山招魂場に合祀された時、フサ(15歳頃)が詠んだ和歌。



観光はだいたいこんな感じです。


帰りは、お迎えのバスが来てくれてましたチョキ



おまけ


至誠館の見学で、面白いお話を聞きました。


松陰先生が書いた遺書である留魂録。


松陰先生が亡くなってから1か月後、萩に届きました。


その留魂録は塾生たちが回し読みや写本をしている間に行方不明になってしまい、現在も見つかっていません。


今、あるものは松陰先生が念のためにと書いておいた2冊目です。


獄で一緒だった沼崎吉五郎が先生に託されて持っていたもので、彼はこれを17年間ずっと隠し持っていて、
のちに野村靖に返しました。


実は、1冊目と2冊目の内容の一部が違うところがあるというのです。


獄で知り合った志士たちに、『松下村塾の同志たちを紹介しておいたから、いつか一緒に行動してくれ』という文があるのですが、1冊目の写本と2冊目とでは紹介しているメンバーが違うのです。

1冊目には伊藤俊輔の名前はなく、2冊目には桂さんと栗原良蔵さん(桂さんの義弟)が付け足されているのとのことです。


この2冊、ぜひ見比べてみたいものですw


つづくぜよっビックリマーク