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わたしの誕生日は大塩平八郎の乱があった日です。


大塩平八郎の乱(おおしおへいはちろうのらん)は、天保8年(1837年)に、大坂(現大阪市)で大坂町奉行所の元与力大塩さんとその門人らが起こした江戸幕府に対する反乱である。大塩の乱とも言う。旗本が出兵した戦としては島原の乱(1637年 - 1638年)以来、200年ぶりの合戦であった。

(Wikiより)



幕末手帳(赤)買った。 12月から始まるんだけど、いきなり高杉さん!!
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壁掛けカレンダーと卓上カレンダーも買った。
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最近買った本はコチラサゲサゲ↓
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佐幕派の方おススメの一冊です。


遊撃隊の伊庭八郎くん&人見勝太郎くん、仙台藩・額兵隊の星恂太郎くん、庄内藩・酒井玄蕃くん、桑名藩・雷神隊の立見鑑三郎くんなどなど・・・


ざっくりなんですけど、かゆいところに手が届いてます。もー、たまらんです!

ただ、星くんの解説部分が、小説のまんまだったのが気になるんですが・・・。合田氏が書いたのかと思った。


この小説ね、現在絶賛絶版中。 やっと最近手に入れた。

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今日はブラックだ!と、隊服ひっくり返すくだりがまんまで、パクった?って思っちゃったんですが。

赤は平時、黒は戦闘時でしょー?



個人的にツボだったのが、桑名藩主・松平定敬(まつだいら さだあき)くん(14歳で藩主になる)


この方、会津藩主・松平容保(まつだいら かたもり)公の実弟で、京都所司代を務めてました。


新選組が京都で暴れまわってた時期ですね。


京都所司代時代、定敬くん(18歳)。


乗馬が得意で、四条堀川通りを走り抜け、護衛は速攻引き離され見失うw


乗馬ファッションは、筒袖ぶっさき羽織に羅紗の四布袴の洋装スタイル、しかも洋鞍。


(筒袖ぶっさき羽織と羅紗の四布袴の画像は探せばあるのですが、勝手に貼れそうにないのでゴメンナサイ。)


お散歩する時も公務でお城へ行くときも、洋装スタイルでお出かけするものだから、家臣たちは止めるように言うんだけど、完全無視!


容保公が病弱だから、弟くんも弱そうなイメージだったんだけど、全然違いました・・・


そんな定敬くん、江戸でのお勤め時代に江戸城が火事になるという事件が起きます。


馬に乗り、真っ先に駆け付けたのが定敬くんと、彼のお小姓の立見鑑三郎くん。


当時の将軍家茂公は『おぉ!越中守、ずいぶん早かったね』とお喜びになったとか。


この時、家茂公と定敬くんは同い年で17歳、立見くんは18歳。


かわいいのぅ。可愛いけど、この若さでずいぶん重たいもの背負ってますよね。


同い年ってことで仲が良かったみたいで、京都所司代の就任も京都守護職の兄と家茂公に頼まれたから断れなかったようです。


戊辰戦争では、立見くんは雷神隊の隊長として、土方さんと一緒に宇都宮城を落とし、その後の朝日山の戦いでも大勝利。

朝日山の戦いは西軍参謀、山県狂介(有朋)&時山直八コンビ。 とっきーはこの戦いで戦死して、ガタはこの時のことをずーっと引きずっていたらしい。


立見くんは京都時代の土方さんと面識があって、当時は近寄りがたい威圧感があったそうだけど、鳥羽・伏見の戦い後、江戸で再会した時は控え目で穏やかな雰囲気に変わっていたと!!


定敬くんはいろいろあって、榎本脱走艦隊と共に箱館へ向かい・・・


乗馬を楽しんでいた


↑これが言いたかったw


定敬くんは謹慎後、激戦地の各地へ訪れ、桑名藩戦死者の法要を執り行い、碑を建てました。


晩年は日光東照宮の宮司をしていたのですが、常に孝明天皇から下賜された屏風があったそうです。