企業とスポーツの関係 | ゴルフ迷走記

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1990年のバブル崩壊が企業のスポーツ投資の分岐点だったと思う、更に2000年代初頭の銀行破綻に端を発した企業業績悪化でいわゆる福利厚生に係る費用の大幅な見直しのあおりを受けて企業が抱えているアマチュアスポーツへの投資が激減した。


日立では工場は江戸時代の大名と同じくらい権限があってある意味独立独歩で経営を任されていた。
当時は工場単位で業績を競っていたし、スポーツでもある意味対抗していた。

「日立武蔵」なんて今の世代は知らないでしょうが、女子バレーボールのトップで多数のオリンピック選手を輩出していたし、実は他の工場もそれに対抗してトップ選手を集めて日本リーグでしのぎを競っていたのだ。


おいらがいた工場は陸上競技と女子卓球で陸上競技では何人かオリンピック選手が出ていて工場全員(当時は4,000人くらいいたと思う。)が工場内の広場に集まって壮行会なんていうのをやったのを覚えているし、女子卓球は日本リーグにいた、

確か課長職以上は全員後援会に無条件で入会させられ給与天引きで後援会の会費をとられていた。
要するに会社(工場)が活動費を負担していた。
懐かしい話だ。


Jリーグの「柏レイソル」の前身は日本リーグにいて管轄は本社、Jリーグが発足する時日立の本家本元である日立市に誘致の動きはあったと思うが管轄が本社、そして本社の運動場は柏市、これは推測ですが、Jリーグ発足の時は各県1チーム、って制約があったのでは?

そんな訳で「鹿島アントラーズ」が茨城では参入、「柏レイソル」は1年遅れて参加となった。
日立市には観客を集めるサッカー場がなかったのももう一つの要素でしょう。


お膝元の日立市にある「日立工場」は社会人野球だけは未だに維持しているし、練習設備、グランドなどの改修も行われている。
常磐線の特急ひたちを貸切って「かちどき号」なんて列車を運行したり、応援は当然出社扱いで工場の大多数の社員が行ったりした。
おいらは事業所は別でしたが、後援会に入っていて確か、毎月300円給与天引きされていた、当然応援に東京ドームへは何度も足を運んだ。


その昔は企業スポーツの盛り上がりで社員の意気高揚なんてありましたが、今の時代は中々そうはいかないモチベーションですからね。

実は運動会がもっとすごかった、1985年のリクルート冊子「本当の日立」に生々しく書いてあった。


市内にある野球場では都市対抗の予選が行われているので今でもたまには見に行くが、プロと遜色ないくらいスピード、パワーがあります。


大手企業のトップの考えでしょうが、2000年の創業以来の赤字決算(確か当時で7,000億円)で、男子ゴルフトーナメントの最終戦のスポンサーも下りた。
プロゴルファーは「白戸由香」選手が現在の「柏レイソル」の前身である「日立スポーツ」所属だったが今はどうか?
調べたら現在は「日立ソリューションズ」がスポンサードしていました。
そして誰ともスポンサー契約を結んでいないと思います。


現在、日立の株価はとんでもないほど高騰している、これは東芝と違って2000年の業績悪化で企業体質をモノづくり一辺倒からサービスの日立にシフトしたことが功を奏しているのだと推察。


そろそろ、ゴルフ界への投資、願わくば女子プロゴルファーへのスポンサードを期待しています。
地元には会社が経営する「大みかゴルフクラブ」もありますし。

地元明秀学園日立女子ゴルフ部出身の「小滝水音」プロは先日地元企業「JX金属」(旧日本鉱業)がメインスポンサーになった。


そうそう日立工場ではラグビーで「日立サンネクサス」をサポートしているし、旧日立電線ではバスケットの「茨城ロボッツ」のメインスポンサーである。