🏛️2024年10月24日の思い出です🏛️
この日のコーデ
1つ前の思い出
ちょっと長くなりそうで、
文字数怪しいので、
いくつかに分けたいと思います
果たして記事何個で
収まるのだろうか…フッ←
いざ平成館へ
ご飯の後は、
早速、平成館へ移動
挂甲の武人 国宝指定50周年記念
特別展「はにわ」へ
今回はちゃんと機械のレンタルがあったので、
謎のもしもしスタイルじゃなかったです
よかったー
お金が戻ってくるタイプの
コインロッカーもあり、
大きな荷物を預けて、
いざ~
プロローグ 「埴輪の世界」
まず目に入ったのは
「埴輪 踊る人々」
東京国立博物館所蔵の物ですが、
今年の3月末に修復を終えたばかり
修理後初お披露目でございます
同じ古墳に立てられた埴輪は、
高さを大体揃えられていたようで、
修理によって身長差が縮んだそうです
更に土汚れを落としたら、
当時の色である赤っぽい色が出たため、
修理前よりも赤くなったようです
埴輪と言えばこれってくらい、
埴輪と聞くと思い浮かべる埴輪です
どうぶつの森もそうですよねw
踊る埴輪、
実は馬を曳いてる姿という説も
因みに音声ガイドはこの2体が
対話っぽい感じで解説してくれるのですが、
声が左が森川智之さん、
右が石田彰さんでした笑
あ、以降の私が撮った写真は、
良い感じの物を選抜した物になりますので、
ご了承くださいませ
第1章「王の登場」
第1章のエリアでは、副葬品と共に、
埴輪が作られた古墳時代と背景を
振り返ります
日本書紀によると
当時は高貴な人が亡くなった際、
生贄として人を生き埋めにしたようで、
野見宿禰が「生贄の代わりに埴輪を埋めてはどうか」と
当時の天皇に進言して受け入れられて、
埴輪を古墳に置くようになったんだとかメモッ
古墳時代前期は量を重んじていましたが、
中期頃には質の高い物を
副葬するようになったそうな
鉄板を組み合わせて作られています
見つかった短甲は構造が似ているため、
ヤマト王権膝下の工房で作られ、
各地の王に配られたと考えられています
金のアクセサリーは
当時まだ珍しい物だったそう
めっちゃ鈴付いてる…
これ歩くたびに凄い音鳴って、
注目浴びる罰ゲームで使いそう…←
笑ってはいけない24時で方正がよく付けられてるような…wwwww
まぁ当時は腕や足にも、
鈴のアクセサリー付けて、
儀式していたみたいですからね
金銅製の大帯は日本で3例あるけど、
鈴付いてるのはこれだけらしい
これは馬に付ける金の轡
綺麗でした
第2章「大王の埴輪」
第2章のエリアでは、
古墳時代にヤマト王権を統治していた、
大王の墓の当時のトップ水準で作られた埴輪を
出現から消滅にかけての時期別に見て、
埴輪の変遷をたどります
実はこのエリアで見どころの
メスリ山古墳出土の、
めちゃデカ円筒埴輪、
写真忘れちゃいましたー
体高242cmのとっても大きな、
円筒埴輪でしたよ
当時、水鳥は魂を運ぶ鳥だったそう
家形埴輪は大王の家を象ったもの、
盾形埴輪は大王を守る盾だそうです🛡️✨
この家形埴輪は日本最大の家形埴輪🏠
挂甲の武人は大王を守っているそうです💂🏻♂️🛡️
小刀に手をかけて今にも抜刀しそう
捧げ物をする女子は大王を弔う姿だそうです🙏🏻
・・・次の記事に跨ぎたいと思います💦
お付き合いくださいませー🙇🏻♀️
次の記事はこちら
ポチッとお願いします