リボンいくら殆どが過去話からのコピペといっても、改めて読み直ししていると、どうしても気になる表現がちらほら出現する。そうなると、例えば『ユリと炬燵』なら、pixivの『ユリと炬燵』、総集編の『ユリと炬燵』、アメブロの『ユリと炬燵』と三編を修正しなければならないので大変だ。

最新投稿のみ直せばいいかとも考えるが、pixiv、アメブロ、それぞれに読者様がいらっしゃるので放置しておくわけにもいかず。

実生活は手抜きし放題なのにナ~真顔

 

 

 

 

ユリと炬燵

 

 

※ユリウスの合格祝いに、ダーヴィトが贈った炬燵の話。

 

 

(モダンなデザインとはいえ)炬燵にシャンパン、その周りには大柄な男三人と可愛らしい天使がしゃがんでいる図が、微妙にそぐわない。
そんなことには気にも留めず、ダーヴィトがグラスにシャンパンを注いでいく。
「ユリウス、お前は飲むな」
グラスに伸ばしかけたユリウスの手首をクラウスが摑んだ。
「どうして?」
「忘れたのかよ?」
クラウスは彼女の耳元で囁く。

 

「どうした? さあ、乾杯しよう」
ダーヴィトがグラスを持ち上げた。
「あのさ、一応こいつはまだ未成年だから……」
見え透いた言い訳だと思った。
だが、この二人に彼女のあんな姿を見られたくない、いや絶対に見せたくなかった。
「堅いこと言うなよ、クラウス。主賓は彼女なんだぞ」
「クラウス、一杯くらいなら大丈夫だよ。せっかくダーヴィトが持ってきてくれたんだし、良いでしょう?」
ユリウスがクラウスに向かって両手を合わせる。

 

──その一杯が怖いんだよ……。
「一杯だけだぞ?」
クラウスは渋々頷いた。
「うん!」
「イザーク、お前も一杯だけだ!」
「え?」
いきなり指を差され、イザークはぽかんとする。
「三年前の醜態、忘れたとは言わせねぇぞ。ユリウスに絡みやがって」
「は、はぁ……すみません」
「確かに、あれは酷かったな」
懐かしそうな表情で、ダーヴィトが笑った。
「もう、いい加減に忘れてくださいよ……」
「クラウス、ボクの醜態も忘れてよ」
「ば、馬鹿! 余計なこと言うんじゃねぇっ」

 

「何だよ、お前もユリウスに飲ませたことがあるのか?」
「ち、違う! あれはこいつが勝手に……」
「勝手に飲んで、どうなったんだよ?」
ダーヴィトが意味ありげに、にやりと笑う。
「そう言えば昔、僕の隣の部屋がやたら騒がしかったっけなぁ」
「おい、ダーヴィト!」
ユリウスは居たたまれなさそうに炬燵布団に顔を埋める。飲んでもいないのに顔が真っ赤だ。
「良いじゃないか、もう時効さ。さあ、今度こそ乾杯だ。ユリウス、合格おめでとう!」

 

「あ、ありがとう」
くいーーっ!
居たたまれないから一気にいった。
「こ、こらあーーっ!!」
クラウスは慌ててグラスを取り上げた。
「……ちよっとぉ、返してよぅ」
魔法をかけられたように、天使が豹変する。
「お前、酔うの早すぎだろ?」
「酔ってなぁいぃ。ダーヴィト、もう一杯!」
「馬鹿! ダメだ! ダーヴィト、それ隠せ!」
恋人を羽交い絞めにして叫ぶ男。
「なんでぇ? ボクのお祝いでしょ? ボクには飲む権利があるっ!」
「お前……、前より酷くなってないか?」

 

「おいおい、彼女いつもこんななのか? 笑えるなあ」
ダーヴィトは、わざとボトルを隠さない。
「馬鹿野郎! 他人事だと思って面白がるな!」
その隙を狙って、ユリウスが二杯目のシャンパンをくいーっ!
「イザークも飲んで、飲んで」
「あ……いや、僕は」
「遠慮しないで、ボクを合格に導いた功労者なんだからぁ」
「お、お前らぁっ!」
いつの間にか気がつくと、イザークのグラスにもおかわりが注がれていた。それでもまだイザークは、ユリウスほど酔ってはいない。この三年で内臓も成長したのだろうか。

 

「イザークぅ、ホントにありがとね。その節はお世話になりまし……」
・・・ゴチンー★(テーブルに、でこをぶつける音)
「いったあぁ~い……。キャハハ……!」
「だ、大丈夫かい? ユリウス」
「へーき、へーき」
テーブルに両肘を付いて、クラウスは頭を抱え込む。ダーヴィトも流石に開いた口が塞がらない様子である。
「ユリウス違うよ。それは倒れるまで練習した君の努力の成果だよ」

 

「倒れる?」
イザークの言葉に、クラウスは驚いて顔を上げた。
「あれ? 彼女から聞いてなかったのか? クラウス」
ダーヴィトが訊いた。
「いや、知らない。聞いてない」
「クラウスってばもぉ……そんな過ぎたことはどーでもいいからぁ」
ユリウスは左手でクラウスの肩をパシパシ叩きながら、とくとくと、シャンパンをイザークのグラスに注いだ。
「まま、もう一杯。はい、ぐーっと飲んで」
「ユリウス、ほんとに僕はもう……」
と言いながら、ユリウスには逆らえないイザークは、仕方なく飲み干す。顔がほんのり赤くなる。
「い、いい加減にしろ! この酔っぱらい編入生コンビッ!」
「やだぁクラウスったら、上手ーい」

 

コテン。
「あれ?」
まるでゼンマイの切れた人形のように、ユリウスはクラウスの肩に倒れ込んだ。
「おい、ユリウス。寝ちまったのか?」
あんなに狭いと文句を言っておきながら、キッチンから戻ってきた時、彼女は自然にクラウスの隣に潜り込んだ。そしてクラウスも何の躊躇もなく、入りやすいように布団を持ち上げてやった。
二人の関係を如実に物語っているようなこの行動を、ダーヴィトとイザークははたから見ていた。
ただベタベタしているところを見せつけられるより、心臓がチクリと痛む。
解り切っていた筈なのに、今更ながら思い知らされる訪問者二名であった。

 

「ん……、クラウス……」
「どうした? 気持ち悪いのか?」
少女はゆるゆると顔を上げ、潤んだ瞳で恋人を見つめる。
「クラウ…ス……、キスし……」
「わあぁっ!!」
間一髪で、彼は彼女の口を手で塞いだ。
「むぅ……っ」
じたばたする蝉……じゃないユリ。

 

「ど、どうした?」
ダーヴィトとイザークが目を見開いてこちらを見ている。
「お前、もう眠いんだな? 悪い、こいつを寝かせてくるよ」
再度、危険な台詞を口走る前に、クラウスは素早く彼女を抱え上げた。
「えぇ? ボクまだ大丈夫……」
「いいから黙れ」
リビングから問答無用で退場させられ、ベッドルームまで向かう間、天使は夢の中へ堕ちていく。
そうっとシーツに沈めた時には、穏やかな寝息を立てていた。

 

 

 

 

 

 

ベッドルームから戻ってきたクラウスは、脱け殻のように隙間が空いている炬燵布団へ潜り込み、斜め向かいの男を見る。
「悪かったな、イザーク。お前は大丈夫なのか?」
クラウスは、脱け殻のようになっている炬燵布団へ潜り込む。
「あ、はい。実は途中から飲んだ振りをしていたんです。彼女は気づかなかったみたいですけど」
「何だ、そうなのか。ふうん、いつの間にそんなすべを覚えたんだ? お前も暫く会わないうちに大人になったんだな」
「そ、そんな大したことじゃ……」
イザークは、既に水に切り替えていた。ダーヴィトは一人でシャンパンを飲んでいたが、顔色ひとつ変わっていない。

 

クラウスは、ユリウスのグラスに残ったシャンパンを飲み干し、
「あいつはちっとも変わらなくて。いつまでたっても世話が焼けるよ」
ベッドルームへ顔を向けて溜息をついた。
「その変わらないところがいいんじゃないか。お前だって本当は可愛くて堪らないんだろ?」
ダーヴィトは悪友の肩を軽く叩く。
「べ、別に……。そうだ、さっきお前が言っていたことだけど」
クラウスは真剣な表情でイザークを見た。
「あいつが倒れたって、どういうことだよ?」
「あ、はい。あれは試験前の最終調整の頃でした。ゼバスのレッスン室で、自主練習の最中に急に気を失ったみたいで……」
イザークが事情を説明し始める。
「ちょうど僕とイザークが部屋に入るところだったんだ。だから、間一髪で彼女の躰を受け止められた。もう一歩遅かったら、床に崩れ落ちてたよ」
補足するように、ダーヴィトが後を続けた。

 

「そんなことが……」
クラウスは言葉を詰まらせる。
「たぶん根を詰め過ぎたんだな。疲れが溜まっていたのかもしれない」
「余り眠れてもいなかったようですから」
ダーヴィトの後に、イザークも付け加える。
「眠れない?」クラウスはもう一度、ベッドルームを見た。
「此処じゃいつも眠り姫みたいなのに……」
「(そりゃそうだろうよ)一ヶ月も、お前の顔を見られなかったんだ。ホームシックだよ」
「ホームシックって……、あいつの家はドイツだぞ」
「お前さ──」ダーヴィトは呆れた顔になる。
「彼女のこと、解っているようで解ってないんだな。ユリウスにとっては、もう此処が自分の家みたいなもんなんだよ」
「──此処がか?」
クラウスは信じ難いようだった。

 

「以前彼女は、あなたがパリに行っている時、ドナウの畔で一人でしゃがみ込んでいたことがありました」
珍しく、イザークが割り込んでくる。
「ドナウで? いつだよ?」
「コンセルヴァトワールの試験期間です。二月の、風が氷みたいに冷たい日でした」
「そんな日に、あいつは、あんな寒いところにいたのか?」
クラウスの声が僅かに大きくなる。
「あ、大丈夫です。僕がゼバスに連れて行きましたから。連弾に誘ったんです」
「それは知らなかったな」
ダーヴィトが感心したように目を細めた。
「よくユリウスが、お前の言うことを聞いたな」
「彼女も最初は気乗りしない様子でした。普段なら僕も引き下がっていたと思うんですけど、あのままだと肺炎になりかねないと思ったので。あの……すいません」
イザークはクラウスに頭を下げる。

 

「なんで謝るんだ?」
「その時、少しきつい言い方をしてしまったんです。彼女が今にも倒れそうだったから、僕もつい焦ってしまって……」
「何言っているんだ。お前は間違ってないよ、イザーク。僕だって同じ立場ならそうするよ」
ダーヴィトが強い口調で言う。
「あぁそうだ。言っておくが、レッスン室で彼女を抱き止めたのはイザークだからな」
「ダーヴィト! 何も今そんなことを言わなくてもいいじゃないですか!」
イザークは思わず腰を浮かした。
「別に隠すことじゃない。感謝されることはあっても、文句を言われる筋合いはないと思うけどね」
「で、でも……」
そのまま首が固定する。

 

「イザーク」
「は、はい」
錆びたネジを回すように首を動かすと、いきなり両肩を摑まれた。
イザークは反射的に目を瞑る。
「ありがとな。あいつが怪我せずに済んだのは、お前のお陰だよ」
「え? いえ……あの場に居合わせたら、誰だって同じようにしたと思います」
「いや、お前で良かった。俺は心底ほっとした」
「は?」
「少なくとも、こいつに抱き止められるよりはな」
クラウスはダーヴィトをぎろりと睨んだ。
「おい、酷いなぁ。さっきユリウスにしたこと、まだ根に持っているのか?」
「お前は前科が多過ぎなんだよ」
「あれ? そうだったっけ?」
しらばっくれやがってと言いかけて、クラウスは口を噤む。
「いや……、本当は感謝してるんだ。俺のいない間、お前たちがあいつの力になってくれていたんだな」
「なんだか擽ったいな。お前からそんな台詞を聞くなんて。なぁイザーク?」
「はあ……」

 

そんなことよりも、イザークは、今日ユリウスが自分にした行為について、クラウスが存外、機嫌を損ねていなかったことの方が奇跡だ、と思っていた。
てっきり、その分も合わせて、グチグチ言われると思っていたのだ。
「クラウス、ユリウスをあんまり叱るなよ。合格して嬉しくて気が緩んだんだよ。分かってるよな?」
「ああ、分かってるよ」
「ならいい。じゃあ、そろそろホテルへ戻ろうか、イザーク」
「はい」
男三人による炬燵談義終了である。

 

「ダーヴィト、イザーク、今日は色々ありがとな」
「ああ、もう一つ言い忘れていた」
玄関で、ダーヴィトはクラウスに向き直った。
「何だよ急に?」
「炬燵の中では──やめておけよ」
「……何のことだ?」
クラウスが怪訝な顔になる。イザークも意味が分からず、きょとんとしている。
「低温やけどの元だからさ」
次の瞬間、クラウスは目を剥いた。伝染するようにイザークが赤面する(悟ったようだ)。

 

「はぁ!? お前、あほかっ! 何言ってやがる!」
「お前ならやりかねないだろうと思ったから、忠告したまでさ」
「な、何だとぉ!?」
イザークは益々赤くなる。分かりやす過ぎて直ぐにバレた。
「イザーク!」
「は、はいっ!」
「お前、今、想像したろ? したな!?」
「しししし……してませんっっ!」
イザーク、どもり過ぎ。
「怒るってことは、図星か?」
ダーヴィトがにやりと笑う。

「う、うるせー! さっさと帰れー!!」
「はは……、言われなくても帰るよ。じゃあ、ユリウスによろしくな」
「お、お邪魔しました」
ばたん。
と目の前でドアが閉まり、
「あンの野郎……」
男は一人、わなわなと震えていた。

 

クラウスは、ベッドサイドに腰を下ろした。
ユリウスは小さな口を窄ませて眠っている。
その寝顔は子供のようで、シーツに半分ほど埋まった頬は心なしかまだ赤い。
──ユリウス……。
お前、俺の知らないところで、必死に頑張ってきたんだな。離れている間も、ずっと一人で歯を食いしばって。こんなに細くて小さな躰で……。
逢えなくて寂しいのは、俺だけじゃなかったんだな……。
なんだかんだ言っても、俺はパリで一人だけど、お前はレーゲンスブルクに帰れば家があって、学校に行けば友達がいて、(認めるのはしゃくだが)イザークやダーヴィトが支えになってくれて、俺に逢えない寂しさなんて簡単に紛らわせていると思い込んでいた。
解っているようで解ってない……か。またダーヴィトのやつに一本取られちまったぜ。ふん、伊達に一年、歳食ってないってことか。

 

 

 

 

そばにいて

 

 

※ユリウスがドイツに戻ると、学校では友人が待ち構えていた。半ば無理矢理、卒業公演の主演という大役を背負わされ、ユリウスは、クラウスのことを考える余裕もない日々を送る。
その後、レーゲンスブルクに帰ってきたクラウスと三ヶ月振りに逢えたユリウスの心は、二度と離れたくない思いで溢れ──。

 

 

ユリウスが玄関のドアを開けると、キッチンにいたレナーテが振り向いた。
「ユリウス、遅かったのね。……あら」
「すみません。遅くなってしまって……」
クラウスは頭を下げる。
「何だ、クラウス、来ていたのか?」
懐かしい声を聞きつけ自室から出てきたヘルマン・ヴィルクリヒは、少女の手がしっかりと青年のシャツを握り締めていたので思わず吹き出しそうになった。
──おやおや……。
「クラウス、ちょうど今から夕飯なんだ。お前も食べていかないか」
大切な娘のために機転を利かせるピアノ教師。
「え? いや、俺は……」

 

「是非どうぞ。今夜はシチューだけれど、たくさん作り過ぎてしまったの」
夫の思惑を察し、畳みかけるその妻。
「クラウス、食べていって! 母さんのシチュー、美味しいんだよ。お腹減ってるでしょ? ね?」
二人の味方をつけて、更に追い打ちをかける恋人。
「はあ……。じゃあ、お言葉に甘えていただきます」
ここまで包囲されたら、投降するしかあるまい。
「やったぁ」
ウサギのようにユリウスがぴょんと跳ねた。可愛かった。
「ユリウス、あなたは着替えてらっしゃい」
「はぁい」
ユリウスは嬉々として階段を駆け上がっていく。
こうして、クラウスは、半ば強制的にヴィルクリヒ家の夕食に参加させられた。

 

食事もデザートも、とても美味しかった。会話も弾んだ。なかでも、ユリウスはよく笑い、よく喋った。
楽しい時間というものは、得てして過ぎるのが早いものだ。
「ご馳走さまでした。とても美味しかったです」
クラウスは立ち上がった。
「えっ?」
ユリウスは、テーブルのポットを手に取った。
「クラウス、コーヒーのおかわりは?」
「ありがとう。でもそろそろ帰らないと……」
クラウスは少女に耳打ちする。
「ユリウス、また明日、逢えるから」
「う、ん……」
ユリウスは数秒間、彼の目をじっと見据え、やがて、ポットをテーブルに置いた。
「じゃあ、失礼します」
クラウスは、ヴィルクリヒとレナーテに向かって頭を下げる。

 

「おやすみなさい。気をつけてね」
レナーテが言った。その後ろに、ユリウスが立っている。
「はい」
今にも崩壊しそうな表情を見て見ぬ振りをして、クラウスはドアノブに手をかけた。
その時である。
「おい、クラウス、忘れ物だぞ」
「え?」
反射的に振り返ると、彼の目の前に、少女が押し出されてきた。
「きゃっ!」
いきなり背中を押されたユリウスは、びっくりして、ヴィルクリヒの顔を見る。
「先生……?」

 

「こんな瀕死の小鳥を置き去りにするつもりか? 我々には手に負えん。パリに行くまで預かってくれ。残り僅かだが、学校もお前の部屋から通わせて構わない」
「は!? いや、だけど……無茶だ!」
クラウスは狼狽した。ユリウスも突然の展開に困惑しているようだった。
レナーテは二階の娘の部屋へ入っていき、数分後、小振りの旅行鞄を持って戻ってきた。
「はい、ユリウス。着替えと制服はここに入れておいたわ。足りないものがあったら、近いのだからいつでも取りにいらっしゃい」
「母さん……ほんとに良いの?」
「ほら、早くしないと遅くなってしまうわよ」
レナーテは、鞄をクラウスに手渡した。
「娘をよろしくお願いしますね。夕飯は二人で食べにいらっしゃい。ホテルだと何かと不自由でしょうから」
「は、はい……。いや、でも……」
「何だ、まだ何か不満か? 部屋代が足りないなら出すぞ」
ヴィルクリヒが言う。

 

「そんなんじゃねえっ!」
不満なんかない。寧ろ、願ったり叶ったりだ。
しかし。
──何なんだ、この親は? 一人は義理の父親だが……。なんでこうもホイホイと可愛い娘を他人の男に任せられるんだ? 俺は、ここまで信用されるような人間だったか? うーん……。
ユリウスは、レナーテとヴィルクリヒに両手を回して抱きついた。
「母さん、先生、ありがとう!」
「いいから早く行きなさい」
「暗いから、気をつけて行くんだぞ」
「クラウスっ!!」
一転、翼を羽搏はばたかせた小鳥のように飛びついてきた少女の躰を、クラウスは慌てて抱き止める。
「本当に、ありがとうございました」
そう言うのが精一杯だった。

 

外に出ると、ユリウスはクラウスの背中に腕を回し、少しはみ出たシャツの端をしっかりと握り締めた。
「ユリウス」
ほかほかとした少女の温もりを感じながら、青年は言った。
「なあに?」
「お前といられて嬉しいよ」
「ボクもだよ。なんだか夢のなかにいるみたい……」
「夢じゃない。今夜から、ずっと一緒だ」
「うん……、ずっとね……」
二人一緒に見上げる夜空は、どんな宝石箱よりも煌めいていた。
今、流れ星が幾筋弧を描こうとも、石畳を歩く恋人たちに勝る幸福は望めなかっただろう。

 

 

 

 

美しき碧きドナウ

 

 

 

出発の日は爽やかな晴天だった。
チェックアウトを済ませると、ホテルを出る。大きな荷物は送ってしまったので、二人とも身軽だった。
「ねえ」
ユリウスはクラウスに腕を絡め、甘えた口調で言う。
「まだ時間あるよね? ちょっとだけドナウに寄っていきたいの」
「あぁそうだな。暫くは来れないしな」
彼女は嬉しそうににっこり笑った。
ドナウの橋を渡り、階段の上に着くと、何も言わなくても白い手が伸びてくる。その軽い手を優しく握り、気をつけながら一段一段、下りていく。
もう何度、二人で、この階段を下りただろう。
橋の向こうから駆け下りてくる彼女を、どれだけ抱き止め、抱き締めただろう。
白いワンピースが川からの風でふわりと靡く。その裾を、ユリウスがさり気なく手で押さえた。
クラウスは、ふっ、と微笑む。
数年前は、裾が捲れるのなんて、全くお構いなしだった癖に。
自分の顔ばかり見上げて(それはそれで嬉しかったが)、スカートが枝に引っ掛かっても気づかずに、こっちの方が赤面したり。

 

『お前はー、もう少し気にしろよっ! 女なんだぞ!』
『わ、分かってるけど……、つい忘れちゃうんだもん』
『まったく、毎回毎回、後始末をする俺の身にもなれよなあ』
『しょーがないじゃない! まだ慣れてないんだから。もうっ、そんなこと言うなら明日からズボンに戻す!』
『わぁ! 悪かった、それだけはやめてくれ!』

 

慣れないスカートに振り回されていたっけ……。彼女も、自分も。
成長していないようで、少しずつ進歩しているんだな、とクラウスは思う。
「なあに?」
ユリウスが訝しげな顔で彼を見上げる。
「いいや」
風が頰をふわりと撫でる。金色の髪もゆらゆら揺れる。
ユリウスは二段飛ばしで、ぽんと地面にジャンプした。
「こら、危ないって言ってンだろ」
「平気だよう、このくらい」
クラウスは持っていた鞄を草地に置いて、繋いだ手を自分の方へ引き寄せた。
「きゃ……っ!」
少女が短く叫ぶ。その声ごと躰が埋まる。広くて逞しい恋人の胸のなかへ。
甘美な香りが全身を包んだ。もう何度も嗅いでいる匂い。香水でも石鹸でもない。
あの頃は、どれだけ悩まされたことか。

 

「ど、どうしたの? 急に……」
「ん……、条件反射。ここに下りるとお前を抱き締めたくなるんだ」
「そうなの? く、苦し……」
ユリウスが、もそもそと顔を上げる。
「ところで、お前は条件反射が起きないのか?」
「え? 何の?」
「ちょうどこの位置だったよな? お前からのショーゲキの告白を聞いたのは」
クラウスが、にっ、と笑った。
当然、言った本人が思い出さないわけがない。

 

『クラウス、ボクをお嫁さんにして』

 

カチリと、電気ポットのスイッチが押され、瞬く間に沸騰する。
ぐつぐつぐつぐつ……

「せっかくだから、もう一度、聞かせてくれる気はないか? ん?」
いつもよりスローペースのバリトンが、耳朶擦れ擦れに囁きかける。
「い、言わない! 言うわけないでしょ! ああいうのはね、何度も言うもんじゃないのっ」
そう叫ぶと、ユリウスはクラウスの腕からするりと逃れ、川辺に向かって走り出した。
「あっ、こら!」
「いーっ!」
金糸の髪が風に波打ち、ワンピースが舞い上がる。
「おいっ、裾!」
「だーいじょうぶー」
ユリウスは、サンダルを脱いで水面に足を浸けた。火照った躰を冷ますように。
バシャン! と水が跳ねる。

 

「あっ、ばか!」
クラウスは走り寄って彼女の腕を引いた。再び、柔らかな肢体を絡め取る。
はしゃいでいたユリウスが大人しくなる。
クラウスは、ユリウスにキスをした。
ずっと……、
時間が許すまで。
それから彼女の足をハンカチで拭いて、サンダルを一足ずつ履かせる。
あの日と同じだ、とユリウスが笑う。
なんだ、恥ずかしがっている割にはしっかり覚えてるじゃないか、とクラウスは思った。
二人の間を風が通り抜けた。草がそよぎ、亜麻色の髪がユリウスのほうへ靡いてくる。
ユリウスはその束を手に取って愛おしそうに頰に当てた。クラウスは下を向いていて気づかない。

 

「あ……」
「どうした?」
クラウスが顔を上げた。
「今、何か聴こえたの。歌みたいな……」
ユリウスが川の向こうに目をやった。
「え……? 何も聴こえないぞ。気のせいじゃないか?」
「そう……かな……」
「そろそろ行こう。乗り遅れちまう」
「……うん」
クラウスは、ユリウスの手を引くと、階段の下に置いた鞄を持ち上げた。
すると、ユリウスが彼の手を振り解き、背中にしがみついてきた。
「どうした?」
「クラウス」
「うん? 何だ?」
「今夜……、……ぃ……」
「……は?」

 

クラウスは、持ち上げたばかりの鞄を落としそうになった。
言葉は聴こえなかった。
けれど、背中に当たる唇の動きではっきりと理解した。
そんな不確かなことなのに、確かだと思えたのが不思議だけれど。
──こここ、こいつ……っ!!!
おかしい……。
初めに要求したのは自分のはずなのに、何故こんなに狼狽えるのか。
ユリウスは、たった今自分が発した言葉のことなど忘れたみたいに、不思議そうに小首を傾げる。
そうして何事も無かったかのように、彼の手に指を絡めた。
……あなたの指も絡ませて……
彼女がちょっとだけ小悪魔になったのは、ドナウの支流から乗ってきたローレライの啼き声を聴いたからかもしれない。

 


 

 

雨とワンピースとあなた

 

 

※雨の中、クラウスとの待ち合わせ。一時間待っても彼は来ない。

偶然出会った相合傘の友人を見送って、そして彼女は──。

 

 

ユリウスは、友人の姿が見えなくなるまでぼんやりと眺めていた。傾いた傘の端から、ブロンドと黒髪がじゃれ合っている。
「相合い傘、したいなあ。クラウス、傘さしてくるかなぁ? そうだ、足拭かなきゃ」
ハンカチを広げたところで、ユリウスは、急に使うのが惜しくなった。別に新品というわけではないのに。
バッグにハンカチを戻しながら、ふと、頭に浮かんだ曲を口遊くちずさむ。
「I'm singing in the rain~
Just singing in the rain~♪」
足元を見ながらタップ。ぴしゃん、と水が跳ねた。

 

ふわっ……ぎゅうぅ……
「あれ? 真っ暗だ……」
あ、また独り言が出ちゃった。
「ごめんユリウス! 凄く待たせちまった」
「クラウス?」
広い胸に頭が埋もれて、顔が見えない。勿論、声で分かるけれど。
「クラウス……、顔を見せて」
「何だ、叩くのか? うん、今日は仕方ないよな……」
「何言っているの? そんなことしないよ」
ユリウスは、背伸びをして、クラウスの頬を両手で包み、
「ユリウス……?」
そのまま腕を回して抱きついた。
「良かったあ。何でもなくて……」
「怒らないのか? 一時間半も待たせたんだぞ」

 

ユリウスは答えずに、両腕の力を少し強める。剥き出しの二の腕が目いっぱい巻き付いた。髪は湿っていたし、首筋に当たる肌が冷たかった。
「お前、ずっとここにいたのか?」
クラウスは視線を足元に向ける。
「おい、びしょ濡れじゃないか。あーあ、ハンカチ持ってなかったのかよ」
クラウスは、ポケットからハンカチを引っ張り出して、彼女の足を拭った。相変わらずくしゃくしゃだったので、ユリウスはくすっと笑う。
「ハンカチはあるよ。さくらんぼのやつ」
「持っていたなら、なんで拭かなかったんだよ。まったく……」
「どうして、かなぁ……?」
「ほら、もう片方、足上げろ」
言われた通り、ユリウスは彼の肩に手を置いて右足を上げる。クラウスはサンダルのストラップを外し、丁寧に足の裏までを拭き上げた。
「擽ったいよ、クラウス」
ユリウスが躰を震わせる。
「こら、ちゃんと拭かないと転ぶだろ」
「うん」
ハンカチを一度、絞らなくてはならないほど、彼女の足は濡れそぼっていた。立っていた場所が悪かったのか。クラウスは首を傾げる。
水溜まりでタップダンスをしていたことは内緒である。

 

「クラウス、傘は?」
「そのへんに転がってるだろ」
「え? どういうこと?」
「これで良しと」
クラウスが、ストラップをぱちん、と止めた。
「お前が雨ン中、突っ立ってるから、驚いて放り投げちまった。お、これだ」
タイミング良く、開いたままの傘がユリウスの方へ転がってきた。いったいどんな投げ方をしたのか。
「もぉう、乱暴なんだから。壊れたらどうするの」
「傘なんかよりお前の方が大事だ」
どきん、とすることをさらっと言う。ほんと憎らしいんだから……。
「それより、これからどうする? 時間遅くなっちまったしなぁ。腹、減ったろ?」

 

「ねえ……、相合い傘で帰りたい」
「えっ帰るのか? いいのか? 飯は?」
「相合い傘で、帰りたい」
クラウスの腕に、ほっそりとした手が滑り込んだ。
「分かった。分かったよ」
クラウスは傘を拾い上げる。
傘の下で寄り添う……、いや、一方的に纏わりつく柔らかい躰。
「お前っ、ひっつき過ぎ。歩きにくいぞ」
「文句言わない。一時間半、待たせたくせに」
鈴の音も一緒に絡みつく。
「おい、今になって責めるのかよ」
──くそう。傘が無けりゃ、抱き上げちまうのに……。
いつの間にか、雨は小降りになった。遠くの雲の切れ間から、天使の梯子が降りている。

 

「I'm singing in the rain~♪」
ユリウスが空に向かって片手を上げる。
淡い一瞬、クラウスは、ユリウスが、その光芒へ昇っていくのでは……と錯覚した。
腕の力を、強める。
「それ……、さっきも歌ってただろ」
「えっ、聴こえていたの?」
「お前の声は通るんだよ。何たって天使のソプラノだからな」
「それだけで、ボクだって分かるの?」
「当たり前だろ。最初にお前の声を見つけたのは、俺なんだからな」

 

女の声だ。ボーイソプラノじゃない──。

 

「そんなの、たまたま同じ場所にいただけじゃない」
「でも、真っ先に反応しただろ?」
確かに、その通りかもしれない。
彼だけが気づいてくれた。
例え、それが揶揄い半分だったとしても……。
「だから、どんなに離れていても、お前が歌えば、俺の血管がどくんどくんて波打つんだ」
「なんか……大袈裟」
「大袈裟なんかじゃない」

 

あの日、あの時、あの場所で、揶揄されて、過敏になって……。
だけど……、今はあまねそらの彼方だ。
「大袈裟ぁー」
笑うように髪が弾む。
「こんにゃろ、しつこいぞっ」
クラウスはその髪をくしゃくしゃと撫でたかったが、両手が塞がっているので無理だった。

 

 

 

 

 

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