小さなスプーンが必要とされる場所 | 子ども達と自然に暮らそ!

子ども達と自然に暮らそ!

十和田で耳つぼジュエリーのおうちサロンをする傍ら、
子育てがラクに楽しくなるように、
自然食、自然療法などを取り入れながら、
子ども達との自然な暮らしを提案しています。

みんなにシェアしたいお話があります。

植松さんのお話しです。

 

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ちいさなスプーンがありました。 

そのちいさなスプーンは、悩んでいました。 

「なぜ、自分は生まれてきたんだろう」 

なぜ悩んでいるかというと、

いろんなところで否定されたからです。 

 

土木工事のおじさん達からは、

「お前みたいなちいさいもんで穴掘ったら、

永久に仕事は終わらんわ!」

と怒られました。 

 

耳掃除の人からは

「お前みたいなでっかいのでは、

耳の穴に入らないわ」

と怒られました。 

 

スパゲッティを食べる人からは、

「お前みたいなつるっとしたのでは、

スパゲッティをうまくからめられないわ」

といわれました。 

 

ある国では、

「はしがあるからいらないわ」

と否定されました。 

 

どこにいっても、

自分が求められていません。

 

 どこに行っても、

自分が役に立てません。 

 

だから、ちいさいスプーンは

「なんのために生まれてきたんだろう」 

「自分は、なぜフォークじゃなかったんだろう」 

「自分は、なぜはしじゃなかったんだろう」

 「自分は、スコップに生まれたかった」 

「自分は、耳かきに生まれたかった」 

と悩んでしまいます。 

 

でもね、

 あつあつのカレーを食べたい人や、 

あつあつのスープを飲みたい人や、 

冷え冷えかちかちのアイスを食べたい人や、 

すりおろしたリンゴを子どもに食べさせたい人や、

 ほかにも大勢が、

ちいさいスプーンを必要としています。 

 

大事なのは、

出逢うチャンスを増やすことだと思います。 

狭い世界の価値観だけで、

自分を評価するのは危険です。 

 

学歴とか、成績とか、

それは確かに価値はあるけど、 

その価値が、

全ての世界で有効とは限りません。 

 

だからこそ、

違う価値観と出逢うチャンスを

作る努力は必要なのだと思います。

 

 先日、大阪でロケット教室をしてきました。 

その準備をしてくださった人達は、

みんなパーフェクトではありません。

 でも、だからこそ、 

自分のできることを活かして、

足りないところを補い合って、

どんどん困難を乗りこえていっていました。 

 

自分は足りないから・・・ 

自分には能力がないから・・・ 

といって、

人と関わる努力をやめてしまうと、 

自分を必要としてくれる人と

出会うチャンスも失います。 

 

それは、すごくもったいないです。 

今回のロケット教室を見ていて感じました。 

 

ロケット教室を助けてくれた

くさつのKMP(くさつ未来プロジェクト)の人達が、

様々な個性を活かして

助け合うことができてるのは、 

「これやりたい!でもどうやっていいかかわらん!

誰か助けて!」 

とはっきり言える人がいるからかなと思いました。

 

 助けを求める人がいると、

「あ、それなら、自分ならこういうことができるかも・・・」

と思える人が生まれます。 

 

でも、みんなが、ちゃんとしたふりをして、 

一人でなんでもできるふりしてると、 

だれも助けを必要としていないから、

助ける人が生まれません。 

 

ということは、

「人が必要とされない」ということです。 

 

その世界では、みんなが

「なんのために生まれてきたんだろう」って

悩むことになってしまうと思います。

 

 だからこそ、みんなが勇気を出して、 

自分が困っていることを喋った方がいいです。 

 

助けを求めた方がいいです。 

 

そうしたら、みんなが

「自分を必要としてくれる人」と

出会えるのだと思います。 

 

だから、「できない」「わからない」は、ダメでも、

マイナスでもありません。 

 

それは、人と人とをつなぐきっかけです。 

 

人が必要とされるきっかけです。 

 

だからこそ、「できない」「わからない」を、

ダメだと怒らないで欲しいです。 

 

「できないなら、できる人を探して教えてもらおうか?」

 「わからないなら、

わかってる人を探して尋ねてみたら?」 

 

「できない」と、「わからない」は、

学ぶチャンス、つながるチャンスにして欲しいです。 

人と人とが、助け合える社会のために。

 

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どんな人にも、

誰かの役に立てる場面はきっとあって、

自分ができないことを

誰か助けてと言えたなら、

その、誰かが必要とされる場面が

生まれるんですね。

 

凸凹はあって当たり前で、

だれかができないことがあるから

誰かが補うことができる。

 

みんな凸ばっかりじゃ、

補い合えませんものね。

 

自分が何でも完璧に

出来なくていいじゃないですか。

それは、だれかにとって

活躍できるチャンスになる。

 

自分なんてと思っている人にも、

必要としてくれる人は必ずいて、

自分なんて大したことないと

思っていることでも、

誰かのためには

必要なことかもしれなくて

 

凸と凹が出会えるように。

 

AI時代で人が必要とされなくなる

なんて言うけれど、

誰かのできないは、

誰かのチャンスで

誰かのわからないは

凸と凹がつながるチャンス。

 

そんな風に、人と人がつながり

補いあえる社会がいいですよね。