台湾と日本~日本人の心を取り戻す | 子ども達と自然に暮らそ!

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自然食、自然療法などを取り入れながら、
子ども達との自然な暮らしを提案しています。

中村文昭さんの講演に行ってきました。

生の中村さんに

お会いしたくって、

家族みんな引き連れて。

その中で、

子どもたちも印象に残ったという

台湾のお話。

 

今回は、中村さんのお話とあわせて、

台湾について調べたことも一緒に

紹介します。


東日本大震災の時に、

真っ先にリュックいっぱいの現金を背負って、

どこからどうやって来たのか、

交通が分断された地域に

下半身泥だらけになりながら

歩いてやってきて、

大人にも子供にも

お年寄りにも、分け隔てなく

5万円づつ手渡して歩いていた人がいた。

それが、台湾の人だったと言います。

 

記事を探していたら、こんな記事を見つけました。

 

当時のことをよく覚えている人に、

話を聞くことができた。

「家族の代表者が公民館に集まるように、

チラシが配られました。

台湾の仏教団体が、

現金を配ると書いてありました。

彼らにはすでに炊き出しで

お世話になっているので、

怪しくはなかったですね。

うちからはお父さんが行きました。

世帯名簿をチェックするだけで、

本当に5万円ももらって帰ってきました。

あのとき、どうなるかまったくわからなくて

お先真っ暗でしたから、

現金の支給が一番、嬉しかった。

地獄の沙汰もカネ次第とは、

このことですね。あの5万円は、

金額以上に私たちに

『安心』を運んでくれたんです」

 

東日本大震災の時の

台湾からの募金は、

総額280億円だったといいます。

 

日本からフィリピンへの義援金で

大きいところでも

2013年11月に起きた

フィリピン台風への約17億円です。

 

台湾の人口約2350万人。

日本人は1億2700万人。

日本に比べてかなり少ない人口なのに、

280億円もの義援金は、すごいことです。

 

なぜ、台湾の人がそんなに親日なのか。

 

1895年、日清戦争に勝利した日本は、

初めは資源の一方的略奪と、

植民地支配を計画していましたが、

1898年児玉源太郎が総督になってから

方向転換し、

莫大な国家予算を費やし、

土地改革、ライフラインの整備、

アヘン中毒患者の撲滅、

学校教育の普及、

製糖業などの産業の育成を行うことにより

台湾の近代化を推進してきました。

 

日本人は、台湾の発展に貢献したけど、

台湾の人が、自分たちの手で、

自分たちで考えた国づくりができるように

教育が行われていったというのも、

彼らが日本人を尊敬するところとなったようです。

 

そして、

台南に、神様になった日本人がいるのです。

1944年杉浦曹長は台南上空で

アメリカ空軍の銃撃を受けました。

その時にすぐに落下傘を出せば

自ら脱出できたのにも関わらず、

戦機が住民の集中している地域に

墜落すると予期し、

機首を揚げ上昇し

野畑が広がっている地域目指して墜落した

として地元民に

今でも神様として祀られています。

 

飛虎将軍杉浦茂峰

水戸市のホームページで紹介されていました。

 

リップンチェンシンとは、漢字で書くと、「日本精神」。

台湾で誉め言葉として使われる

リップンチェンシン。

 

台湾では「あの人はリップンチェンシンだから」

というと真面目で勤勉で堅物の人を指し、

「あの店はリップンチェンシンだから」

というと信用を重んじて約束を守る人

という意味になるそうです。

 

台湾人が日本統治時代に学んだ

日本人の美点を指す言葉。

台湾の方々は好んでこの言葉を

用いられるそうです。

 

本来、日本人が持っていた、

勇気、誠実、勤勉

奉公、自己犠牲、責任感

清潔というような精神。

 

なかなか報道されないので、

台湾と日本の関係を

知らない人も多いけれど、

台湾に貢献した戦後の

日本人の心が

台湾に息づいているということに、

びっくりするとともに、

そんな日本人の心を

私たちは忘れてないだろうか?

と思いました。

 

相手を喜ばせようという思い、

思いやり、

助け合い、

そんな精神。

「頼まれごとは試されごと」。

あなたのために、

一生懸命やらせてもらいますよ、

っていう気持ち。

 

最後に、

中村さんが5回の謹慎処分中に

罰として書かされて覚えたという

教育勅語。

「朕惟フニ我カ皇祖皇宗・・・」というくだり。

 

教育勅語の内容も、

紹介しておきます。

簡単に言うと、

・祖先や親を大切にしましょう

・兄弟は仲良くしましょう

・夫婦は仲睦まじくしましょう

・友を互いに信じあいましょう

・自分をつつしみましょう

・全ての人に愛の手を差し伸べましょう

・勉強に励み、職業に就きましょう

・知識をつけ、能力を高めましょう

・人格の向上に努めましょう

・広く世のため人のためになることをしましょう

・社会の規則、秩序を守りましょう

・非常事態には、勇気をもって

国の平和と安全に尽くしましょう

 

という内容です。

最後の一文が、

お国のために、

天皇陛下のためにと死んでいった

多くの命を思うとき、

後の世の人達は引っかかるのかもしれませんが、

意味を見ていくと、

めちゃくちゃなことを

言ってるわけではないですよね?

ごくごくあたりまえなことです。

 

今回、中村さんのお話は

台湾の話だけじゃないのですが、

台湾のお話から、

日本人の素晴らしい精神性を

取り戻して、

伝えていかなきゃならないな~

と、思い、

胸が熱くなるのでした。

 

中村さんが台湾に送った

お神輿のことが飛虎将軍廟

のHPで紹介されていますので、

紹介しておきますね。