「こうしたい」より「こうありたい」 | 子ども達と自然に暮らそ!

子ども達と自然に暮らそ!

十和田で耳つぼジュエリーのおうちサロンをする傍ら、
子育てがラクに楽しくなるように、
自然食、自然療法などを取り入れながら、
子ども達との自然な暮らしを提案しています。

あいぼんこと平岡愛ちゃんが
十和田にある
新渡戸稲造記念館で
新渡戸稲造についての卒論発表会をするために
十和田にやってきた。
 
今回、
あいぼんがうちに泊って行ってくれたのだけど、
そのときの感想が
とてもうれしいものだった。
 
 

*感謝があふれすぎるとわたしは*

 

感謝があふれすぎると
わたしは独り言がふえるようだ。

感謝があふれすぎると
わたしは涙がでるようだ。


感謝があふれすぎると勝手にどんどん
全身全霊ありとあらゆるところから
「ありがとう」があふれてくるようだ。

 

「感謝のエネルギー」って最強すぎる。

 


新藤 幸子さんを通して
神戸のお母さんに対しての
「ありがとう」も溢れてきた。

お母さん、ほんまにすごいよ。
お母さん、まじでありがとう。


そして新藤家のみなさん、
本当にありがとうございます。

朝からしあわせすぎました。

 

 

*「ありがとう」に包まれて*

 

いつからやろう?

面と向かって素直に
「お母さんだいすき!」
と伝えられなくなったのは。


なぜやろう?

身近な人にほど「ありがとう」を
伝えることを忘れてしまうのは。

 

「あたりまえ」は「ありがたい」

普段「あたりまえ」だと思ってること。
それは全部キセキでしかないということ。

だからすべてに「ありがとう」

この世もあの世もどの世でも。
すべてのみんなに「ありがとう」

 

「あたりまえ」の大切なことを
思い出させてくれた新藤家に感謝です。

 

 

 

あいぼんに対して、

私は、母のような気持でいます。

大好きな友達であり、

かわいいかわいい

もう一人の子供です。

 

母というものは、

いつの時代も、

子どもに対して抱く思いは、

 

幸せになってもらいたいんです。

愛される人生を送ってほしい。

健康で元気でいてほしい。

食べるものに困らないでいてほしい。

 

だから、

苦労する姿を見たくなくて、

つい、いらなく口出ししちゃうこともある。

時には、強すぎる母の愛が

重く子供にのしかかり、

子どもを縛り付けちゃうことだってあるかもしれない。

「こうなったら幸せになれる」

っていう母の思い込みがあったりすると、

なおのこと。

そうやって、反発してしまうことも

あるかもしれない。

母が考える幸せ像と、

子どもの考える幸せ像がずれていると、

かみ合わなくなっちゃうのかもしれない。

 

でも、

忘れないでいてほしい。

母はただただ、

子どもに幸せになってほしいと

願っているだけ。

 

小さなころは、

母の愛は、

ストレートに子どもに向かい、

ストレートに母に帰ってくる。

でも、

「おかあさんだいすき」って、

素直に言ってくれる時期って、

結構短くて、感覚としては

低学年ぐらいまでかな~。

 

成長とともに、

そんなの恥ずかしくて言えなくなるのか、

母の愛があるのが

当たり前だと思ってしまうのか、

いつからか、言葉に出して

大好き、ありがとうって、

言われることもなくなってしまう。

 

ただ、

子どもがどんな態度だろうが、

実はいつでも、

母の愛は変わらずそこにある。

 

そして、私は、

みんなの母のようでありたいと

そう思っている。

 

いろんな方たちの

母のようでありたいと。

 

ここ(home)に戻れば、

変わらぬ母の愛がある。

心疲れた時に

ほっとぬくもりを感じられる

母の愛に気づかされる、

そんな場でありたい。

 

 

 

新渡戸稲造の言葉に

 

『to beというのは

to doというよりも

はるかに重んずべきものぞ。

汝、善なるべし、

しかして汝のなすところ

皆善なるべし』

 

「こうありたい」という思いは

「こうしたい」という思いよりも

ずっと尊重されるべきものだ。
まずは善人たれ、

そうすればあなたがする事は全て

善い事であるに違いないからだ。

 

皆さんは、

どうありたいですか?