【大人の思うように、子どもはやらない】
「イスでも作るか」
お父さんが言った。
「イス作るんなら、こういう板を後何枚探して来い」
子どもは黙って従った。
でもそのうち、下の子に邪魔されて、せっかく作ってたところを壊された。
「やっぱり、イスじゃなくて、箱つくる」
それまで黙ってお父さんのいうとおりにやっていた子が言った。
「今からか?箱つくるように作ってないぞ、これ!」
「じゃあ、いいや、お前の好きなように作ってみろ!」
それからその子は、自分で考えて、自分でデザインして、一生懸命作った。
できたものは、箱でもない、大人には何の形とは言えないものだった。
でもその子は、
「ここに自分の好きなものを飾るんだ。」
そう話して、満足げにその箱をもって帰っていった。
大人の決めたものじゃない。
自分が考えたものが作りたかった。
一生懸命考えて作ったその子は、それで満足そうだった。
「あんなんでいいんだね。何だかわからねえけどさぁ」
満足げに帰るその子の後ろ姿を見て、お父さんがつぶやいた。
子どもって、そういうものかもしれません。
決して大人が、
「こうやった方がかっこいいのに」とか、
「こうやったらうまくいくのに」とか、
「この方が無駄がなくていいんじゃないか」
って思うことが、
子どもにとってやりたいことだとは限らないのです。
小さな子だって、
大人からすると、
危ない、
手ケガするからやめなさい、って、
言いたくなるんだけど、
この子、
釘を持ってる私の手を打たないように、
気を付けて打ってくれています。
やらせてみたらいいんです。
こんな小さな子だって、ちゃんと考えてます。
時々気が散漫になってしまうことはあるけどね。
これは、こういう木工に限った話ではなく、
これから人生の、
子どもの未来の道を選ぶときにも言えること。
大人が、こう歩くべきだと考える道。
良い高校、良い大学に行けば、いい所に就職できて、
良い給料をもらえて、
食うに困らない生活を送れるだろうから、
今頑張って勉強しなさい、
って思う親心。
私にだって、そんな親心、ないわけでもないです。
こどもが苦労しないように、
幸せであるように、
と、願うのは親心。
でも、そんな親心は、
子どもの可能性を考えたとき、
時には邪魔になってしまうこともある。
そう言う考えを植え付けてしまった結果、
違う道があるなんて、
考えもしなかった子ども達もたくさんいる。
就職してみて、初めて、
自分がやりたかったことは何だろう。って、
自分探しの旅に出る若者も沢山いる。
これが当たり前、って思ってた、
社会常識のような一本道。
そこから脱線してしまい、
どうしていいかわからなくなり、
道に迷う若者も。
でもね、
道は一本じゃないんだよ。
大人が正しいと思った道が、
正しいわけではない。
子どもがやってみたいと思ったこと。
それが、不確かだけど、
もう一本の道なのかも知れない。
それが、子どもの幸せに続く道なのかも知れない。
というブログ、とってもわかりやすいので、
ご覧になってみて下さい。
大人はね、
子どもの可能性を信じて、
子どもの未来をつぶさないように、
応援してあげなきゃね。
え!そんなこと!
って、思うことも、
子育てしていく中で
これから先、多々あると思うんです。
心配するのは親心だけれど、
子どもがやりたいことを信じてあげるのも、
子どもの未来を信じる親心。
信じて、やらせてみましょうよ。
ちょっぴり勇気はいるけどね。
こちらは自分のやりたい道を突き進む長男。
どんな道につながっているかはお楽しみ。