一口馬主のひとりごと -305ページ目

私にだけのサイン

丹波特別のトムウィンズに期待したのですが・・・。

西橋豊治厩舎所属。

岩崎祐己騎手主戦。

テキーラの僚友として、同条件への出走。

結果がテキーラの実力の尺度となること請け合い。


その勝敗は?

・・・ちょい足らず。


さてさて、お二人のご判断や如何に!?

電話投票当選

もうそろそろ時効だと思いますので・・・。


就職が決まった私は、春から京都を離れることになりました。

期間ははっきり決まっていませんでしたが、研修期間も兼ねていましたので、

1年以上ということは分かっていました。


新しい環境から一番近い場外馬券発売所(WINS)まで100キロ以上!!

き、きつい・・・。


当時の馬券購入方法は、競馬場・WINSそして電話投票の3つだけ。

電話投票も、その方法はまだ音声(オペレーターに直接「連勝2-8に五百円」とか言うもの)が主流で、

半年か1年に1回ぐらいの追加会員募集がある程度でした。それも数千人の単位で。


秋のGⅠシリーズと時を同じくして、この電話投票会員の追加募集が競馬ブック当日版に掲載されていました。

使用開始時期は翌年の4月。

しかも投票方式は、プッシュ回線を使用したコンピュータ対応方式。(う~ん。画期的!)

何としても権利が欲しかった私は、父・母・姉・私の4名を使い、4通はがきを送っていました。

(もちろん、みんなには内緒でしたけど)

そして年末近くになって送られてきた当選&入会案内の封筒!!

「やったー!」

それも自分の名前の分が当選!


そして、はたと気がついた。

改めて返信しなければならない身上書にある職業欄。

今は少し変わりましたが、馬券を購入しても良い者の制限が、

当時は20歳以上の社会人という設定でした。

つまり、20歳以上であっても、生徒・学生は馬券の購入が許されてはいなかったのです。

(何とも不思議な規制でした)

私は、罪に問われるかもしれない危険を承知で、内定先の企業名を書き込みました。

「電話投票で馬券を購入するときには立派な社会人です。」

という言い訳を用意して。


学生生活最後の忘年会の帰り道。

阪急梅田駅の売店で何故か販売されていたスポーツ夕刊紙に大きく飾られたイナリワンの文字。

私の戦友スーパークリークがまたしても有馬記念に振られたところで、

波乱万丈の平成元年は終わりを告げました。

待ちの時間に秋の奇跡

就職先も決まり、あとは時間が経つのを待つばかり。


秋を迎えたユニオン1期生たちは、結構苦戦を強いられていました。

この辺は今もあまり変わりありませんね。


その中でただ1頭、果敢に重賞に挑戦する牝馬がいました。

そう、サンドピアリスです。

夏までに2勝を挙げ、言わばユニオンの出世頭ではありましたが、

その名の通り、ダートでの2勝であり、誰の目からも芝の重賞は少々荷が重く、

かく言う私でさえ、クラブの売名行為のような気がして気恥ずかしさを覚えたものでした。


この年のエリザベス女王杯のイベントには酒井法子さんが来られていて、

お昼休みに芝コース中央でインタビューと歌を披露されていました。

(恥ずかしながら見に行ってました)

柵越しに、取り巻き数人と競馬ファン(のりピーファンでない人たち)が小競り合いをしていたのを

今でもはっきりと覚えています。(なかなか険悪でしたよ)


レースの結果はご存知の通り。

奇跡は起きました。


こんな事が起こるんだ!

私は、場内の騒然とした雰囲気とはまた違う動悸を感じながら、

スタンドから一歩も動けずにコースを見つめていました。


勝利騎手インタビューで、初々しい岸騎手のはにかんだ表情が忘れられません。

インタビュアーが「最後にファンの方に一言」とマイクを向けていましたが、

最低人気のサンドピアリスを応援していたファンがそんなにたくさんいるわけも無く、

そのことを良く分かっている岸騎手は、馬券を外した多くの競馬ファンを前にして、

気まずそうに「どうも、応援してくれてありがとうございました」

と答えていたことを思い出します。


興奮が治まってくると、今度はどうにも抑えきれない期待感が盛り上がってくるのでした。

「これはいいクラブに入会したぞ。こりゃあ本当に皐月賞いただきだー」


このデビューを待つ間の際限の無い夢見心地は、

馬を持つものにしか味わえない、最高の時間となりました。


皐月賞いただきー!