期待すること、期待されること。
主観ですが、期待という言葉には
なんとなくポジティブなイメージがあり
変化を求める人にとっては
明るい兆しが差し込むような
そんな雰囲気もあるかと思います。
言葉の響きも好きなので
僕がよく使う言葉の1つですが
僕自身の話をすると
人に期待することは
ずいぶん前にやめました。
こんばんは。
そのビジネスの入り口から出口まで。
売上作りを裏から支える専門家
クロコスタイルのウスイです。
期待するにもされるにも
それが力に変わる場面は
間違いなくあります。
一方、少し難しい感覚かもしれませんが
期待は時として依存という形に変化します。
期待と依存
見えないものでもあるため
その境目もわかりにくい。
後から「あれは依存だったかも」と
気付くことはあるにせよ
意識していないとわからないものです。
普段からそこまで短気な方でもなく
わりとのんびり型なので
あまり怒ることもないのですが
以前は今に比べて
イライラすることも多かった。
起業して紆余曲折
山ありで谷ありでここまで来ましたが
ふとした瞬間
イライラしていた時のことを
思い返して考えたことがあります。
原因と結果の法則から考えれば
イライラしたという結果にも
必ず原因があるよなぁと思い
そもそもなんで
あんなにイライラしてたんだろう?
と、原因を探ってみると
その原因のほとんどに
「人」が関わっていることに
気付きました。
期待するというのは
きっとこうなる!とか
絶対大丈夫!とか
確約ではないまでも
ある程度結果が見える状況に対し
プラスの結果がもたらされることを
信じて疑わない要素があります。
状況や環境に対してであれば
期待する先は無機質なものかもしれませんが
僕が思い出す限りでは
期待が生まれる瞬間とは
人との約束や付き合いの中に
多かった気がしています。
あの人なら大丈夫
前も大丈夫だったから
その人への信用と信頼が
くしくも期待へと変わる。
もちろん
それ自体は悪いことではないですし
結果として
より関係性が強固になることもあります。
根本には、当事者同士の人格や
約束を守る信念、結果への努力など
「人ありき」であることは
大きな要因になっているものです。
いつ頃からか覚えていませんが
期待することに対して猜疑心が生まれ
自分の心を守るために
人に期待しなくなりました。
意識し始めたきっかけは不明ですが
はっきり覚えていることは一つあって
それは、営業の仕事をしていた時のこと。
営業の仕事と言えば
契約を取ってくることが最重要任務です。
初めての営業仕事。
慣れない中で主権者とアポを取り
商談に持ち込み成約。
これで商談成立です。
当時はリフォームの飛び込み営業をしていて
毎月ノルマに追われていました。
営業マンとしてはごく普通。
すごいスキルがあるわけでもなく
トークがうまいわけでもない。
聞く力が強かったかと言えばそうでもなく
PR力が高かったわけでもない。
3ヶ月ノルマ未達でクビになる会社で
なんとか2年続けることが出来ました。
当時の上司から
ウスイが営業に向いてる一番の強みは
その真面目さだ
と言われていましたが
当時の自分にはよくわからない。
後々理由を聞いてみると、上司が言うには
お客様と仕事に対して真面目というのは
真摯であり誠実であること
だそうです。
お客様はいきなり売り込まない営業マンに
けん制しつつも、悩み事を話してくれて
必要なリフォーム相談を自ら話してくれる。
だから、それが強みであり
ノルマを維持できた理由らしい。
ですが、毎月、ノルマをクリアするだけでは
やはりしんどい。
そうなると、一件でも多くの売上が欲しい。
足繫く通って、関係性も築き
なんとか成約まで頂いたお客様でも
後日連絡が来て
「やっぱりキャンセルしたい」
そう何度となく言われてきたものです。
営業の世界ではあたりまえにある現実ですが
初めての営業畑での仕事。
成約後、肩の荷が下りた僕にとっては
キャンセルの一報で全てご破算。
ぬか喜びであり、お客様不審へと繋がる。
そんなことを何度も経験しているうちに
成約が上がっても喜ばない。
クーリングオフの期限が過ぎるまでは
けっして気を抜かない。
妙な慎重さが根付いていきました。
「期待しないこと」の奥深くには
この辺りの経験が根っこにあります。
悲観的に考えると
人に期待しないというのは
寂しい考えでもありますし
ポジティブな要素は見えにくい。
ですがこれは、言い方を変えれば
自分のコントロールできないことは
制御しようとしない
ということにも繋がります。
他人と過去は変えられない。
自分と未来は変えられる。
カナダの精神科医
エリック・バーンの言葉です。
ここで言う
「他人」と「過去」は変えられない
ということが
僕が人に期待しないことと
リンクしてくる部分。
もう少し深堀して話すと
予定した動きが相手になかった場合
自分でなんとかしよう
あるいは
次の手を考えればいいか
といった感じで
予測の動きにならなくても
それすら想定内にしておく。
頭の片隅には必ずそれがありました。
最悪を想定し、最善を尽くせ
そんな言葉もありましたね。
最善かどうかは別として
心の準備と対策をするようになりました。
ちなみに、僕の本音としては、
期待されるのって実は苦手です。
もちろん、最善は尽くします。
失敗するために何かをやることはなく
うまくいくことを目的にやります。
それは当然です。
ただ、必ずしも
うまくいくとは限らない。
もしかしたら
うまくいく方が少ないかもしれない。
個人でお客様と関わるようになると
一人ではどうしようもないことも
たくさんあります。
100%なんてありえない。
成功も失敗も、です。
だから、勉強し、経験し、成長します。
自分が人にされたら嫌なことは、人にしない。
期待されるのが重荷になるので
期待することもしない。
そういう側面もあるかもしれません。
余談ですが
僕はこれまで、自分のことを
わりとロマンチスト(理想主義者)な
人間ではないかと思ってきました。
想像力や妄想力はある方なので
多分そうなのかなぁと。
ただ最近、自己分析をしてみた感じでは
意外にリアリスト(現実主義者)
なのかもしれないなと
そう思うようになっています。
起業家として
人に期待しないとか
期待されるのは好きじゃないとか
そういうことを言ってしまうと
仕事に影響も出そうですが
今日の話で言いたいことは
実は一つだけ。
それは
期待は自分にするものだ
これです。
「自分」と「未来」は変えることが出来る。
人への期待は
期せずして裏切られる場合もありますが
自分に対しての期待は
際限なく、過剰なくらいしてもいい。
身の丈を知る。
それも大事。
でも
未来のあなたの身の丈など
誰にもわからない。
だったら
描いた身の丈に合うくらい
自分の未来に期待してやればいい。
それは誰にも迷惑がかからないどころか
大きな力となって誰かを助けるかもしれない。
自立した関係性は
しっかり根を張った状態で
まっすぐ高く伸びていき
必ず何かを成し遂げます。
人に期待して一喜一憂
心が疲れ、人間不信になるとしたら
いっそのこと自分だけに期待する。
そんな選択と生き方をすれば
きっと心も楽に生きられます。
